『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.39

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

衞門太夫正綱, の人數不殘被召置故、軍制をも古の通りを兼夫々に定らる、公は皆新キに, し、早馬ニて注進、此日者觀世三十郎ニ、定家の紐解、海士の泣かゝり、檜垣の, 申候、頼宣君計は、京都よりの注進を、内膳申上候を無心元思召、指足を被成、, 介忠輝君、尾張宰相義直君、并頼宣君、阿鶴君, 紀藩無名書〕, 候處え、大坂御謀反の早馬到來、其状箱を潜ニ御前へ出、人を拂申上候、上總, く御聞被成、是も殘の御兄弟樣より、御勝レ被成たる故也、, 頼大坂城にて亂を起す、神君御馬を出さるへしとて、十月朔日、俄ニ御陣觸, 大事習事を、東照宮御自身御教可被成ニ付、御舞臺の支度、前宵より、松平右, 御障子の此方ニ御立聞被成候ニ付、大坂御謀反の次第、内膳申上候を、はや, あり、水戸頼房卿は十一歳、駿府御留守居に被爲置、尾州義直卿は十五歳、公, 成候、其時時雨降込御舞臺濡申候を、右衞門太夫下知して拭て、板の乾を待, に被仰付、御子樣方も、皆御能の御役人ニて御詰被, 慶長十九年甲寅、御齡十三歳、是年豐臣秀, ハ十三歳、御陣に御立候儀、何も方悦給ひて、其用意有之、義直卿は、故忠吉卿, 紀侯言行録〕上十月朔日ニ、京都板倉伊賀守勝重より、大坂城謀反のよ, 其外御小性、皆三之間え退, 守信綱父, 松平伊豆, ○朝野舊聞哀稿, 六百七十七所載, 水戸, 頼房, 頼宣京都, ノ蔭ニ聞, 進ヲ障子, ヨリノ注, 慶長十九年十月一日, 三九

割注

  • 守信綱父
  • 松平伊豆
  • ○朝野舊聞哀稿
  • 六百七十七所載
  • 水戸
  • 頼房

頭注

  • 頼宣京都
  • ノ蔭ニ聞
  • 進ヲ障子
  • ヨリノ注

  • 慶長十九年十月一日

ノンブル

  • 三九

注記 (30)

  • 1560,645,58,416衞門太夫正綱
  • 288,651,59,2200の人數不殘被召置故、軍制をも古の通りを兼夫々に定らる、公は皆新キに
  • 1793,656,59,2206し、早馬ニて注進、此日者觀世三十郎ニ、定家の紐解、海士の泣かゝり、檜垣の
  • 1098,646,60,2229申候、頼宣君計は、京都よりの注進を、内膳申上候を無心元思召、指足を被成、
  • 1216,646,55,1285介忠輝君、尾張宰相義直君、并頼宣君、阿鶴君
  • 732,624,95,401紀藩無名書〕
  • 1329,646,58,2221候處え、大坂御謀反の早馬到來、其状箱を潜ニ御前へ出、人を拂申上候、上總
  • 866,648,57,1727く御聞被成、是も殘の御兄弟樣より、御勝レ被成たる故也、
  • 635,647,58,2213頼大坂城にて亂を起す、神君御馬を出さるへしとて、十月朔日、俄ニ御陣觸
  • 1676,647,59,2221大事習事を、東照宮御自身御教可被成ニ付、御舞臺の支度、前宵より、松平右
  • 981,643,58,2215御障子の此方ニ御立聞被成候ニ付、大坂御謀反の次第、内膳申上候を、はや
  • 519,654,59,2205あり、水戸頼房卿は十一歳、駿府御留守居に被爲置、尾州義直卿は十五歳、公
  • 1446,647,58,2222成候、其時時雨降込御舞臺濡申候を、右衞門太夫下知して拭て、板の乾を待
  • 1561,1377,60,1489に被仰付、御子樣方も、皆御能の御役人ニて御詰被
  • 752,1656,56,1209慶長十九年甲寅、御齡十三歳、是年豐臣秀
  • 405,673,59,2186ハ十三歳、御陣に御立候儀、何も方悦給ひて、其用意有之、義直卿は、故忠吉卿
  • 1889,621,100,2247紀侯言行録〕上十月朔日ニ、京都板倉伊賀守勝重より、大坂城謀反のよ
  • 1214,2087,56,780其外御小性、皆三之間え退
  • 1549,1088,40,253守信綱父
  • 1594,1093,40,248松平伊豆
  • 779,1094,43,464○朝野舊聞哀稿
  • 737,1093,40,466六百七十七所載
  • 1246,1959,38,105水戸
  • 1200,1956,42,116頼房
  • 1139,282,45,171頼宣京都
  • 1013,287,41,167ノ蔭ニ聞
  • 1055,283,40,171進ヲ障子
  • 1100,291,38,162ヨリノ注
  • 185,713,44,385慶長十九年十月一日
  • 192,2445,41,81三九

類似アイテム