『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.392

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也、忠興君の御手ニ討取首十三、, ら鹿毛也、御馬驗御昇有之、, 召出候, あるへき前に御胄をめし、指物御さし被成候、御馬は御召代共ニ二疋なか, を付たる御指物ニ、金の橇を御持、五百の人數御指麾被成候が、日に映し, たし候、上意に依て諸將秀頼公の御座所を圍み、二三の丸本丸共燒亡をし, 或説大坂にて忠興君茜の切割ニ金のきらきらの諱印角取紙の樣なる, 内一つは人奪ひ取、一人は生捕也, 鳴海丹後き討死を遂、縫殿、三左衞門、與左衞門は手を負候、七助は鑓をつき, 其夜大御所は茶臼山、大樹き岡山ニ御陣を被成候、忠興君御本陣ニ〓御歡, 此御陣被爲召候御かぶと御立物は山鳥尾、御指物き朽葉の四半なり、合戰, 討洩されたる諸兵き、十方ニ散亂しけるを、味方はせまはつて追討に, て見事なりし、大御所樣甚御賞美被成候と云々、いふかし、, 被仰述、御小性なと、いつれも手ニ逢候事被仰上候へは、大御所樣御前へ被, まき、傳衞門は二本まて鑓を〓まけ候, 秀頼公御母子は、山里御樓に御移り、, ○中略、難波一統, ○中略、忠興、忠利二戰況ヲ報ズル, コトニ係ル、本條ノ初二載セタリ、, 志等ヲ引用セリ, リと有、又出藏とも有、帶曲輪に籠居ル, ニ月花の樓より東の方籾藏ニ御移, 一ニ十二、, 一二十, 有, 忠興ノ軍, 裝, 元和元年五月七日, 三九二

割注

  • ○中略、難波一統
  • ○中略、忠興、忠利二戰況ヲ報ズル
  • コトニ係ル、本條ノ初二載セタリ、
  • 志等ヲ引用セリ
  • リと有、又出藏とも有、帶曲輪に籠居ル
  • ニ月花の樓より東の方籾藏ニ御移
  • 一ニ十二、
  • 一二十

頭注

  • 忠興ノ軍

  • 元和元年五月七日

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  • 三九二

注記 (29)

  • 1410,650,62,927也、忠興君の御手ニ討取首十三、
  • 476,663,61,780ら鹿毛也、御馬驗御昇有之、
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