『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.516

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ひられし, 山城は、きのふ西の宮まて押詰けれは、興國公ゟ御書あり、其趣は, 兵庫花熊之樣子相談可申ために、昨日須加左京亮を遣候へは、昨日西宮, 右の先手池田出羽名代同姓美作守元信, 姓日向, 輩也、此度新に旗竿を製せられしに、播州加東郡粟生村河合屋敷の竹を用, 此人〓守護と, 右之條諸手へ觸られ、同十九日、姫路を出陣ある、左の先手伊木長門名代同, して林小左衞門、山本藤左衞門を添らる、垂水の在番は多賀長大夫、其外數, 迄被參候由ニ候、あまか崎には人多候間、其地被陣取候而可然候、我等も, 慶長十九年十月十日興國公御名判, 同廿日、興國公兵庫表に發向し給ふ、爰に丹羽, 同東丸水野數馬、同國明石には御舍弟因幡守殿, 姫路の城代土肥飛騨, リ、, タ, 慶長十九年十月十九日, 此時日向は長門の采, 地播州三木ゟ出陣す, 上ニ收メ, 美作, 瓢庵, 後號, して京の妙心寺の中に隱れ居のるか、慶長十九年、橋, ○書状ハ, 來歴ヲ述べタリ、, ○中略、河合屋敷ノ, 磨に歸り、出羽つ人數引具して、大坂の軍に出ける也, 此時は, り、五郎左衞門祿の牛を分ちあたへ、其外秀頼并國清公ゟ御助力のりて、都, 周防, に敍し美作守に任に、後秀頼の御書院番にて、船越五郎左衞門養子聟と〓, 守は, の女なり、美作守故ありと一條家に成長し、慶長七年四月十七日、從五位下, 紀伊守之助殿遺腹の子ニて、出羽由之の第なり。幼名勝吉、母は鹽川伯〓守, 合貳千石計を領す、ゐ中美作守は國清公の甥なれは、大坂を退つん事申, れは、國清公、神君の御内意を受給ひて、立退〓しと下知あり、則大坂を出奔, 明石城留, ニ著ス, 鋒西宮ニ, 垂水在番, 玄隆ノ先, 玄隆兵庫, 姫路城代, 至ル, 姫路ヲ發, 守, 慶長十九年十月十九日, 五一六

割注

  • 此時日向は長門の采
  • 地播州三木ゟ出陣す
  • 上ニ收メ
  • 美作
  • 瓢庵
  • 後號
  • して京の妙心寺の中に隱れ居のるか、慶長十九年、橋
  • ○書状ハ
  • 來歴ヲ述べタリ、
  • ○中略、河合屋敷ノ
  • 磨に歸り、出羽つ人數引具して、大坂の軍に出ける也
  • 此時は
  • り、五郎左衞門祿の牛を分ちあたへ、其外秀頼并國清公ゟ御助力のりて、都
  • 周防
  • に敍し美作守に任に、後秀頼の御書院番にて、船越五郎左衞門養子聟と〓
  • 守は
  • の女なり、美作守故ありと一條家に成長し、慶長七年四月十七日、從五位下
  • 紀伊守之助殿遺腹の子ニて、出羽由之の第なり。幼名勝吉、母は鹽川伯〓守
  • 合貳千石計を領す、ゐ中美作守は國清公の甥なれは、大坂を退つん事申
  • れは、國清公、神君の御内意を受給ひて、立退〓しと下知あり、則大坂を出奔

頭注

  • 明石城留
  • ニ著ス
  • 鋒西宮ニ
  • 垂水在番
  • 玄隆ノ先
  • 玄隆兵庫
  • 姫路城代
  • 至ル
  • 姫路ヲ發

  • 慶長十九年十月十九日

ノンブル

  • 五一六

注記 (49)

  • 623,657,51,262ひられし
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