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ひられし, 山城は、きのふ西の宮まて押詰けれは、興國公ゟ御書あり、其趣は, 兵庫花熊之樣子相談可申ために、昨日須加左京亮を遣候へは、昨日西宮, 右の先手池田出羽名代同姓美作守元信, 姓日向, 輩也、此度新に旗竿を製せられしに、播州加東郡粟生村河合屋敷の竹を用, 此人〓守護と, 右之條諸手へ觸られ、同十九日、姫路を出陣ある、左の先手伊木長門名代同, して林小左衞門、山本藤左衞門を添らる、垂水の在番は多賀長大夫、其外數, 迄被參候由ニ候、あまか崎には人多候間、其地被陣取候而可然候、我等も, 慶長十九年十月十日興國公御名判, 同廿日、興國公兵庫表に發向し給ふ、爰に丹羽, 同東丸水野數馬、同國明石には御舍弟因幡守殿, 姫路の城代土肥飛騨, リ、, タ, 慶長十九年十月十九日, 此時日向は長門の采, 地播州三木ゟ出陣す, 上ニ收メ, 美作, 瓢庵, 後號, して京の妙心寺の中に隱れ居のるか、慶長十九年、橋, ○書状ハ, 來歴ヲ述べタリ、, ○中略、河合屋敷ノ, 磨に歸り、出羽つ人數引具して、大坂の軍に出ける也, 此時は, り、五郎左衞門祿の牛を分ちあたへ、其外秀頼并國清公ゟ御助力のりて、都, 周防, に敍し美作守に任に、後秀頼の御書院番にて、船越五郎左衞門養子聟と〓, 守は, の女なり、美作守故ありと一條家に成長し、慶長七年四月十七日、從五位下, 紀伊守之助殿遺腹の子ニて、出羽由之の第なり。幼名勝吉、母は鹽川伯〓守, 合貳千石計を領す、ゐ中美作守は國清公の甥なれは、大坂を退つん事申, れは、國清公、神君の御内意を受給ひて、立退〓しと下知あり、則大坂を出奔, 明石城留, ニ著ス, 鋒西宮ニ, 垂水在番, 玄隆ノ先, 玄隆兵庫, 姫路城代, 至ル, 姫路ヲ發, 守, 慶長十九年十月十九日, 五一六
割注
- 此時日向は長門の采
- 地播州三木ゟ出陣す
- 上ニ收メ
- 美作
- 瓢庵
- 後號
- して京の妙心寺の中に隱れ居のるか、慶長十九年、橋
- ○書状ハ
- 來歴ヲ述べタリ、
- ○中略、河合屋敷ノ
- 磨に歸り、出羽つ人數引具して、大坂の軍に出ける也
- 此時は
- り、五郎左衞門祿の牛を分ちあたへ、其外秀頼并國清公ゟ御助力のりて、都
- 周防
- に敍し美作守に任に、後秀頼の御書院番にて、船越五郎左衞門養子聟と〓
- 守は
- の女なり、美作守故ありと一條家に成長し、慶長七年四月十七日、從五位下
- 紀伊守之助殿遺腹の子ニて、出羽由之の第なり。幼名勝吉、母は鹽川伯〓守
- 合貳千石計を領す、ゐ中美作守は國清公の甥なれは、大坂を退つん事申
- れは、國清公、神君の御内意を受給ひて、立退〓しと下知あり、則大坂を出奔
頭注
- 明石城留
- ニ著ス
- 鋒西宮ニ
- 垂水在番
- 玄隆ノ先
- 玄隆兵庫
- 姫路城代
- 至ル
- 姫路ヲ發
- 守
柱
- 慶長十九年十月十九日
ノンブル
- 五一六
注記 (49)
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