『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.167

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人は討死と御心をゆるされたり、, 骸を尋〓、片脇へ持寄、穴を掘、扨其死骸を埋め、塚を築き、其前にて、切腹して, ならん、眞田、後藤なと存生せは、かやうの淺はかな〓事は致すましとて、兩, 内ニ、又兵衞へ被下たる秀頼公ゟ百万石の御朱印あり、然れとも、仕組事な, て持參るものあつて、權現樣御上覽ニ入た多處、其甲を取御覽ある處、兜の, 死たり、是何事そと聞に、眞田左衞門家來にて、昨日の合戰に、眞田殿討死ニ, 相違なく眞田の塚を築き、其前に切腹の人あり、又何方よりか、後藤か首と, となり、扨々淺はかなな事共かな、是を以ておもへは、眞田、後藤か打死も誠, したれとも、是仕組事ならんと御承引不被成、御家人之内吟味ニ被參候處, 付、厚恩の家人故、〓期の供仕たり、殘る三人は、後藤又兵衞の家來ニて、又兵, 付、秀頼公ゟの御朱印持參のものといふ、是を聞せ給ひて、權現樣一向御笑, 壹人來て尋ル、其儘とらへて御吟味ある處、和泉守殿、大坂へ裏切の思召ニ, らんと御用ひ無之處、大坂方ゟ、古代の御高恩ありとて、藤堂殿陣屋え、武者, 衞殿も討死ニ付、其死骸を尋られし樣子と申たり、此段權現樣へ御聽ニ達, 〔聞書集〕冬御陣之時、大坂方ゟ、ふらくと武者二三人來て戰場に至り、死, 計策, 大坂方ノ, 慶長十九年十一月二十一日, 一六七

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  • 計策
  • 大坂方ノ

  • 慶長十九年十一月二十一日

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  • 一六七

注記 (19)

  • 287,627,55,1013人は討死と御心をゆるされたり、
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