『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.537

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曾我周文, へるは、中々に僻ことなるべし、いかてか祖先の名を印章に彫れるに、其, 文は來化の人なれば、唐人周文などと呼なしけるより、みたりに周字を, 文字を誤〓へき、もとより先祖は周文なるを、同時に相國寺の僧周文あ, 長年中に沒すとあれは、元和の頃は世になき人なり、但元和頃とは凡に, 秀字にさへ作りかへたるものなるべし、委しくは秀文の條に辨へおけ, いへるなめれは、強てとかむべきにもあらねど、秀字を周に誤れりとい, ゆれと、元和の頃といへるは信かたし、若木集、名公畫譜等にも、直庵は慶, りて、殊に圖畫をよくをしなれは、後人混合せんをいとひて、曾我の周, るをみるべし、また印章に周文六世孫とあるを按ふに、前條に載する曾, 姓は平、曾我氏、直庵また地足と號に、曾我紹祥の子、, はやかにして、頗る雅なり、また水鳥花草の圖に名あり、慶長年中沒すとい, 按ふに、直庵元和の頃、周文六世孫といへる印章を押をるよし拾彙に見, 、六世の孫なり、和泉國堺に居住して、よく設色の鷹鵑を畫かく、其筆風さ, へり、, 直菴, 〔扶桑名垂三傳, 慶長年中, ○中略、丹青若木集、辨玉集、, 扶桑名公畫譜ヲ引用セリ、, 紹叔の弟, 世に, なるへし, 雜家, いふ, 四十一, 秀, 文, 慶長年中, 五三七

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  • ○中略、丹青若木集、辨玉集、
  • 扶桑名公畫譜ヲ引用セリ、
  • 紹叔の弟
  • 世に
  • なるへし
  • 雜家
  • いふ
  • 四十一

  • 慶長年中

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  • 五三七

注記 (30)

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