『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.924

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くあて怖多〓なか〓、此言今生の別れなりといまたいひも終らさ〓, 〓よし、矢文を城中に射入たり、城兵これを見く、うたかふものまゝあり, とい〓とも、奧平六兵衞昌長謀書に疑ひなきむ手をのへ、大に其謀乃拙, 將として、三枝松勘解由左衞門守友、名和無理之助重行、五味與惣兵衞貞, に、衆兵鎗を抱てつきあず柵乃前に磔にす、其乃ち武田左馬助信豊、貞能, 八劔高松山に御着陣あり、勝頼兵をわかちて、小山田備中守昌行、春日源, か手跡を似を、右府所々乃手合をおほく、當地老加勢なりかたし、すみや, を進めく、設樂郷極樂寺山に陣し、男城介信忠御堂山に屯す、東照宮にも, 東照宮、織田右府、長篠の邊り有箕原に御出張あり、勝頼もまさ二万餘騎, かに城を避渡すへしとの謀書を作り、其使の者きすくに生捕こ〓を殺, 成、飯尾彌四右衞門助友等を副〓、鳶巣山の城を守らしむ、二十一日曉天、, きを笑ふ、これによりいよ〳〵堅く城を守る、十八日、右府加勢とし〓兵, 五郎某、室賀入道等二千餘人を長篠のをさへとし、武田兵庫頭信實を部, といへとも、ものゝぬの道は相互乃事なれき、返書はすなはちこれを贈, を率て兩陣に對す、この時酒井左衞門尉忠次、父貞能を郷導として前夜, 元和元年三月十四日, 織田信長, 等來リ援, 九二四

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  • 1792,703,56,2149くあて怖多〓なか〓、此言今生の別れなりといまたいひも終らさ〓
  • 1206,711,55,2140〓よし、矢文を城中に射入たり、城兵これを見く、うたかふものまゝあり
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