『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.969

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衞門、海老江勝右衞門も御先へ參、堤を取切候はんと云、右京聞て、各存分, 軍議相違戰負は、再ひ御陣所へ御歸有ましくと思召候由、只今上帶之端, 之方へなたれ引、やかて此方へ取固め、又木村方は五六町か程に廣かり, 〓下知すへし、急け〳〵と下知すれは、足輕とも召連、左之手先へ出にる, 尤也、早く堤を取切へし、我は去年之手疵ニ而馬上不自由なれは、旗本ニ, 尤也と云、半介、此上は一足も早く打立候て、隊を合て出んとす、三浦十左, 並立て來にるか、鉄炮之音を聞き、すは敵來るそ、玉越川堤を此方へ取く, 之候へは、御一戰如何と申上候處、若此敵を藤堂か榊原ニ討をては、何之, の玉をつがんとする所を、爰をうてやと打をたれは、敵は堤を打捨、右, 捻り切て舍給ひぬ、是又御尤にして是非は入ましきはと云たれは、各も, 面目可有也、軍議相違して討死をき夫までぞ、早打立といさまを給へき, が、木村が足輕早く出て、堤をかためにるを、兩人功者なれは、隨分こらへ, 戰と寄ける處を、川手主水兼て子細有、此れひ是非討死とおもひ詰、實父, よ、鉄砲放すなと見合にるか、木村か足輕こらへか手、鉄炮一通り打拂、二, 半介各へ向ふ、殿にき此敵を人に討をてき今度御先を勤る甲斐なし、若, 元和元年五月六日, 玉串川堤, 等ノ戰死, 川手主水, ノ戰, ントス, 直孝直一, 進ミ戰ハ, 元和元年五月六日, 九六九

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  • 玉串川堤
  • 等ノ戰死
  • 川手主水
  • ノ戰
  • ントス
  • 直孝直一
  • 進ミ戰ハ

  • 元和元年五月六日

ノンブル

  • 九六九

注記 (25)

  • 1196,701,62,2143衞門、海老江勝右衞門も御先へ參、堤を取切候はんと云、右京聞て、各存分
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