『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.97

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あたり、ついに三人を追ひ拂ふ, 助んとす、時に奧村小左衞門傍より、助槍そとてこれに當る、其内に權六は, 撃取たりと名乘りたれは, 堤の上にてしはしの間戰ひしか、組討となりて、雙方とも堤乃蔭に轉ひ落, 廣忠、河内を捕ておしぬせ、既に首を〓んとせし所に、河内か組子一人來て, つ、あはやと見るまに、正盛敵の首さしあけ堤の上に立て、水谷久左衞門を, て〓そかゝる、太田忠三郎正盛、時に十八歳、十文字槍を打振てこれに當る, 谷久左衞門と名乘、我本陣に向て、おのか武勇の手なみを見よやと高言吐, 助なといふもの取て返し撃てかゝる、小左衞門、津田彌角とゝもにこれに, 河内の首を取て立たりにれき、又敵の隊長長井傳兵衞、三上半兵衞、松田利, 了槍の柄を切折らせ、太刀を抜てきりむすひ、遂に組打の勝負になりしか, こゝにまた堀田圖書助か隊より、水, 我軍これに氣を得て、ひ, 元和元年五月七日, 以上岡, 太田家譜云、水谷久左衞門、先に當家に來て奉公, 田家譜, をのそみけるに、祿の不足を憤て出去りし者な, 出、先に微祿を以て我をはつのしめらあ、只今我手並の程を見せんものを, りしか、其後堀田の隊下となりしにや、今日我旗章を見て、單騎陣頭に進み, と高言して出來〓しを、正盛戰て討取〓しなり、後寛永十四年、政俊大坂加, 番を勤めし時、正盛從て大坂に在りしに、かの久左衞門か男某、正盛を尋ね, 捕せし佩刀を某に贈りしといふ、増田本家譜には、水谷久左衞門か息某、正, 來て、父か戰死の状を問ふ、正盛其始末を懇に物語し、且其孝心を感して、分, 盛を尋ね來〓しを江戸の郎とし、又某父の讎を報, んとせしを、正盛却て某を討つと載るは誤れり、, ノ働, 太田正盛, 元和元年五月七日, 九七

割注

  • 以上岡
  • 太田家譜云、水谷久左衞門、先に當家に來て奉公
  • 田家譜
  • をのそみけるに、祿の不足を憤て出去りし者な
  • 出、先に微祿を以て我をはつのしめらあ、只今我手並の程を見せんものを
  • りしか、其後堀田の隊下となりしにや、今日我旗章を見て、單騎陣頭に進み
  • と高言して出來〓しを、正盛戰て討取〓しなり、後寛永十四年、政俊大坂加
  • 番を勤めし時、正盛從て大坂に在りしに、かの久左衞門か男某、正盛を尋ね
  • 捕せし佩刀を某に贈りしといふ、増田本家譜には、水谷久左衞門か息某、正
  • 來て、父か戰死の状を問ふ、正盛其始末を懇に物語し、且其孝心を感して、分
  • 盛を尋ね來〓しを江戸の郎とし、又某父の讎を報
  • んとせしを、正盛却て某を討つと載るは誤れり、

頭注

  • ノ働
  • 太田正盛

  • 元和元年五月七日

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  • 九七

注記 (30)

  • 1361,642,57,918あたり、ついに三人を追ひ拂ふ
  • 1709,638,62,2222助んとす、時に奧村小左衞門傍より、助槍そとてこれに當る、其内に權六は
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  • 1010,638,59,2220堤の上にてしはしの間戰ひしか、組討となりて、雙方とも堤乃蔭に轉ひ落
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