『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.971

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

助右衞門これが大將と見、馬より飛下懸りけれは、長門も膝之上なる鑓, に取付けるを、爰はなせとてすゝまれける、透間なく攻かゝれは、青木早, ともをす、飯田を〓伏しか、首を取に隙もなくも之合にれは、敵も飯田を, 四郎左衞門、早川茂太夫、今日此所之勝負叶ふまし、少し退給へと鎧の袖, 直孝公御いらち被遊、摩御ふり立、混六七千堤之上へ押上給へき、木村か, と貝吹立させ進み給へは、一度にどつと崩ける、木村か傍に居ける木村, 首を取たり、是此時之一番首なり、左之方ニふ中野善左衞門首を取, 川も敵を防、木村も今は戰勞れ討死之耻に腰打懸て息を休けるを、庵原, 彌太郎、岸藤七、林三十郎火花をちらし戰けるに、敵猶さゝへて戰けれは、, 蹈越て戰ひたる、此時戸塚左太夫正長手負進得す、此所堤之廣みなれは, 大勢續て戰ける、河野權右衞門、齋藤一之丞、藤田四郎左衞門、同所同時に, 跡に扣へたる取集め勢浮足になりけれは、敵は色めきたり、息な續をそ, 三四間之間にて放つ矢、八田か弓手之脇に射立けれとも、薄手なれは物, 彦左衞門、松居小左衞門、同七左衞門、河野六兵衞、戸綿太郎右衞門、朝比奈, 丸山一太夫、丸山八郎左衞門、成島, セタリ、御勘定倉地介左衞門祖父ナ〓, 五郎介、平塚熊之介ヲ討、中野二高名サ, 家來, 倉地, 井伊軍堤, 二上ル, ノ戰死, 木村重成, 元和元年五月六日, 九七一

割注

  • セタリ、御勘定倉地介左衞門祖父ナ〓
  • 五郎介、平塚熊之介ヲ討、中野二高名サ
  • 家來
  • 倉地

頭注

  • 井伊軍堤
  • 二上ル
  • ノ戰死
  • 木村重成

  • 元和元年五月六日

ノンブル

  • 九七一

注記 (25)

  • 242,715,71,2156助右衞門これが大將と見、馬より飛下懸りけれは、長門も膝之上なる鑓
  • 481,715,67,2151に取付けるを、爰はなせとてすゝまれける、透間なく攻かゝれは、青木早
  • 1773,710,65,2149ともをす、飯田を〓伏しか、首を取に隙もなくも之合にれは、敵も飯田を
  • 597,716,68,2149四郎左衞門、早川茂太夫、今日此所之勝負叶ふまし、少し退給へと鎧の袖
  • 946,705,70,2153直孝公御いらち被遊、摩御ふり立、混六七千堤之上へ押上給へき、木村か
  • 716,716,66,2150と貝吹立させ進み給へは、一度にどつと崩ける、木村か傍に居ける木村
  • 1415,704,72,2022首を取たり、是此時之一番首なり、左之方ニふ中野善左衞門首を取
  • 361,711,68,2156川も敵を防、木村も今は戰勞れ討死之耻に腰打懸て息を休けるを、庵原
  • 1063,707,70,2168彌太郎、岸藤七、林三十郎火花をちらし戰けるに、敵猶さゝへて戰けれは、
  • 1651,705,69,2158蹈越て戰ひたる、此時戸塚左太夫正長手負進得す、此所堤之廣みなれは
  • 1533,704,70,2153大勢續て戰ける、河野權右衞門、齋藤一之丞、藤田四郎左衞門、同所同時に
  • 830,707,70,2155跡に扣へたる取集め勢浮足になりけれは、敵は色めきたり、息な續をそ
  • 1887,704,67,2152三四間之間にて放つ矢、八田か弓手之脇に射立けれとも、薄手なれは物
  • 1179,705,72,2161彦左衞門、松居小左衞門、同七左衞門、河野六兵衞、戸綿太郎右衞門、朝比奈
  • 1310,1857,57,1008丸山一太夫、丸山八郎左衞門、成島
  • 1285,723,45,1096セタリ、御勘定倉地介左衞門祖父ナ〓
  • 1326,717,48,1121五郎介、平塚熊之介ヲ討、中野二高名サ
  • 1459,2744,42,111家來
  • 1414,2744,42,111倉地
  • 969,263,45,171井伊軍堤
  • 927,273,41,111二上ル
  • 342,275,40,121ノ戰死
  • 385,268,43,172木村重成
  • 138,720,46,341元和元年五月六日
  • 151,2450,46,117九七一

類似アイテム