『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.179

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

大和國當麻寺に葬よ、妻は杉若越後守某か女、, 奉し、元和元年の役に、五月六日、道明寺邊にをいて力戰し、首九級を獲、七, 祖母杉若越後守某か妻これをともなひ、本多佐渡守正信につゐて、父か, 日また鎗下の高名し、從士等討とよところの首十三級なり、こ乃日天王, 徳院殿よりその勞を慰せられて御書を下けな、十九年、大坂の御陣に供, を攻、すゐにこれをぬく、八月二十七日、其功を賞せられて、藤堂佐渡守高, 寺にをいて、ぬたゝひ〓ゝかひをましへ、相茂か手勢騎馬の士三十二人、, 御陣には、鎗下の高名あり、相茂か手に首級をうちとる、凱旋乃ゝち、大和, 國高市郡のうちにをいて、千石をくはへら〓、舊地を合て七千石を知行, 虎、黒田甲斐守長政、田中兵部大輔吉政等九人連名の御書をたまふ、關原, 雜兵二百九十三一時に討死し、相茂も奮戰して死す、年三十四、法名宗範、, 〓役には、台施にさきたちて、尾張國清洲に赴き、諸將とゝもに、岐阜乃城, 茂明母き越後守某か女、元和元年父戰死乃ゝち、茂明幼稚〓よにより、外, す、十五年、おほせをうきす、丹波國亀山城乃普請をつとむ、六月十四日、台, を征したまふのとを、したかひしくま〓り、下野國小山におもむく、關東, 相茂ノ戰, 子茂明嗣, 死, グ, 元和元年五月七日, 一七九

頭注

  • 相茂ノ戰
  • 子茂明嗣

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 一七九

注記 (21)

  • 532,702,61,1371大和國當麻寺に葬よ、妻は杉若越後守某か女、
  • 999,700,61,2153奉し、元和元年の役に、五月六日、道明寺邊にをいて力戰し、首九級を獲、七
  • 300,703,62,2139祖母杉若越後守某か妻これをともなひ、本多佐渡守正信につゐて、父か
  • 884,704,59,2148日また鎗下の高名し、從士等討とよところの首十三級なり、こ乃日天王
  • 1119,699,60,2155徳院殿よりその勞を慰せられて御書を下けな、十九年、大坂の御陣に供
  • 1703,704,58,2150を攻、すゐにこれをぬく、八月二十七日、其功を賞せられて、藤堂佐渡守高
  • 769,697,58,2165寺にをいて、ぬたゝひ〓ゝかひをましへ、相茂か手勢騎馬の士三十二人、
  • 1465,703,62,2145御陣には、鎗下の高名あり、相茂か手に首級をうちとる、凱旋乃ゝち、大和
  • 1351,706,60,2147國高市郡のうちにをいて、千石をくはへら〓、舊地を合て七千石を知行
  • 1584,699,61,2153虎、黒田甲斐守長政、田中兵部大輔吉政等九人連名の御書をたまふ、關原
  • 650,701,60,2159雜兵二百九十三一時に討死し、相茂も奮戰して死す、年三十四、法名宗範、
  • 1819,705,60,2144〓役には、台施にさきたちて、尾張國清洲に赴き、諸將とゝもに、岐阜乃城
  • 417,631,64,2218茂明母き越後守某か女、元和元年父戰死乃ゝち、茂明幼稚〓よにより、外
  • 1235,707,61,2148す、十五年、おほせをうきす、丹波國亀山城乃普請をつとむ、六月十四日、台
  • 1935,704,60,2145を征したまふのとを、したかひしくま〓り、下野國小山におもむく、關東
  • 793,264,43,171相茂ノ戰
  • 443,265,43,175子茂明嗣
  • 751,266,39,38
  • 407,259,33,44
  • 195,710,47,339元和元年五月七日
  • 203,2449,43,112一七九

類似アイテム