『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.622

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は一ノ谷の甲なり、, 仕候、今日は手ニあはぬが御奉公なりとて笑、二宮頼母計を先へつかは, 前に沼有場所あしく、手に合事不可成とつふやく、左馬介、我次第ニ可被, し、跡に扣て左耳不出候よし、内藤城之助入道物語也、城之助其時筑前守, 御家癖也との挨拶なり、筑前守不取敢能御癖也と感し候、其時筑前守は, へとも、大和組の先衆未足輕を出し不申候, と申す、左馬介、いかにも〳〵其通りにて候、但かやうの時惣て御輕きは, 甲計着し、澁帷子を着て、澁團にて蠅を拂なから罷通り候、是は御供と見, へたり、筑前守は將軍御通りの跡にて、常の御作法と違御輕き御事なり, をも能承候ゆへ、度々物かたりせられ候也、左馬介は富士山の甲、筑前守, 越前勢よりも物見を出し、馬乘り四五騎足輕を掛候、水野日向守見て、大和, 敵味方互に相支候内に、本多出雲守手より、〓炮を段々ニ張出す、是を見て, 小性にて、初中後馬をはれれす罷有り、將軍の御有樣も、左馬介、筑前守詞, 組先手よりも馬足輕を二人も三人も越前衆同前に出し候へと下知仕候, 私云、本多出雲守下知にて、最初に足輕を出し候、其備まはらなるゆへ、家, 元和元年五月七日, 秀忠ノ手, 忠朝忠直, 輕, 隊ノ進出, 元和元年五月七日, 六二二

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  • 秀忠ノ手
  • 忠朝忠直
  • 隊ノ進出

  • 元和元年五月七日

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  • 六二二

注記 (22)

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