『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.643

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人々の秀たる次第多端なり、今日安藤帶刀御先乃支配被仰付候に、御下, 仕寄ニ野陣を張て其夜をあかす、, 仕候、御使に被下候仁不功者にて候、上意はともかくも候へ、かやうの事, と也、軍散して後は、帶刀深く愁傷の色見ゆるといふ、又尾張勢遲しとて, 急參るへしと御使立、其段直に尾張勢へ乘込申渡す、成瀬隼人聞も不敢, 知の聞候事疾風草に加なか〓し、掃部、和泉手の崩候時も、帶刀下知して, 大御所の左樣の御意にて候か、隼人を腰ぬけめと云るゝか、左申さるゝ, 帶刀見返りもせず、犬にくはせよと計返答し、諸軍を下知して乘廻せし, をたまり罷在候ては、已來下知か聞申間敷と存、かやうに惡口の御返答, 大御所御怒り有て、隼人の腰ぬけめに、何とて早く兵衞を連て參らぬそ、, 大御所、甲斐の信玄に逢て腰かぬけたるはと惡口せし也、後に大御所の, 立直させ候、其砌嫡子彦四郎討死して、其死骸あり、衆人何と可仕と伺ふ, 私云、大御所人を見知たまふ事大方秀吉公にもおとり不給歟、御取立の, 諸軍の中にて申渡筈ニては無御座候と申上る、大御所、何時も武勇乃疵, 御前にて、我等儀は尾張の物主仕候ニ付、腰ぬけなとゝ御意を被申渡候, 元和元年五月七日, 戰死ヲ顧, 直次其子, 彦四郎ノ, 家康ヲ罵, 成瀬正戌, ノ下知振, ミズ, 安藤直次, 元和元年五月七日, 六四三

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  • 戰死ヲ顧
  • 直次其子
  • 彦四郎ノ
  • 家康ヲ罵
  • 成瀬正戌
  • ノ下知振
  • ミズ
  • 安藤直次

  • 元和元年五月七日

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  • 六四三

注記 (26)

  • 1697,714,57,2146人々の秀たる次第多端なり、今日安藤帶刀御先乃支配被仰付候に、御下
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