『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.814

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守出る、其時御先手少々鑓鐵炮せり合始る、御旗本より城和泉守、むかしの, し、不功なる馬の乘樣と申、案の如く敵近付かとて、先手騷き色めく、然とも, 原か馬早し、敵前近く鑓初る樣子にてく、物見衆馬早しと見て、諸手さはぐべ, る所を見濟し、城中に殘たる四五万の勢を黒門玉造高津口三つの門より, 一同に討く出、兩御所樣御旗本へ〓懸候はゝ、今日の勝負は、何レ共知レか, たく候、左は無之して、城勢を不殘拂出し可勵、左候はゝ東方より切懸り候, 式正の母衣かけ物見に出る、馬手負和泉守落馬する、三人の物見馬を急き, はゝ、城方は推立られ、もはや追討迄も積候へは、馬の早キ者足達者なる者, 一方へ出る、一方へは江川安右衞門、大川原藤太夫也、先にて乘詰可歸、江川, 大川原か馬はやりて見ゆる、長左衞門見咎、織部〳〵と呼、關根何事云、長左, 伊藤、關根靜に乘歸る故しりまる、三番物見藤田大學、岡野屋隼人、眞子丹後, 衞門云、此方諸手の備場地びくにして前高し、敵の樣子見へ兼る、江川、大河, の手柄可仕と申にて候と旗本へ歸る、二番物見は伊達長左衞門、關根織部, 數を二三万出し、殘りは城中に置、先の二三万にて會釋、東勢の戰亂動搖す, 乘切て歸ル、眞子早く忠直卿御前へ出、御馬くひ合追付御合戰可始と申上, 二番物見, 三番物見, 元和元年五月七日, 八一四

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注記 (19)

  • 374,651,63,2205守出る、其時御先手少々鑓鐵炮せり合始る、御旗本より城和泉守、むかしの
  • 609,651,61,2214し、不功なる馬の乘樣と申、案の如く敵近付かとて、先手騷き色めく、然とも
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