『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.909

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は、八尾表にて藤堂の物主を餘多討取、大に氣色ばうたりと雖、是は藤堂郎, なれば、諸士の怖懷く事、餘將とは頗る懸隔せりと云り、, しとぞ、信仍生質屈僻ならず、常に人に交るに笑語多く和せり、嘗へば大, 口城の舊主なれ共、年老勢ひ盡ての上なれば、大將の任を辭して、御伽衆の, 訛敷信仍が心の嗜なり、總じて城中に純一成ものは、信仍に不如と宣ひ, 理〓りに執し、三將許容の上、秀頼公より此兩人を上將に取立られ、夫より, 共、世に聞えたる功士なれば、三人衆に列して、軍議に加へんことを、大野修, 大坂へ馳籠る諸浪士の中、長曾我部宮内大輔盛親、眞田左衞門佐信仍、毛利, 野が士に遇ては、目利はさぞ上りつらんなど云て興じ、而も和にして嚴, は五人衆と稱して、諸將に上首せり、偖此五人の優劣を評せんに、長曾我部, 如くにて御前に候す、又後藤又兵衞基次、明石掃部介全登は、元來陪臣なれ, なるべし、西山公殊に此事抔を稱嘆有て、武士の志は最斯こそ有べけれ、, 馳集つて、舊主を守護し、其威尤諸浪士の冠たり、氏家内膳正入道も、江州水, 豐前守勝永は、元來大名なれば、城中に於ても、格別の會釋にて、三人衆と號, し、萬の商議も、此三將の意に洩るゝ事なく、銘々恩顧の手の者共も、追々に, 眞田毛利, 後藤明石, 五人ノ優, 五人衆, 長曾我部, 幸村ノ性, スル評論, 幸村ニ對, 質, 三人衆, 劣, 元和元年五月七日, 九〇九

頭注

  • 眞田毛利
  • 後藤明石
  • 五人ノ優
  • 五人衆
  • 長曾我部
  • 幸村ノ性
  • スル評論
  • 幸村ニ對
  • 三人衆

  • 元和元年五月七日

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  • 九〇九

注記 (28)

  • 301,626,59,2208は、八尾表にて藤堂の物主を餘多討取、大に氣色ばうたりと雖、是は藤堂郎
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