『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.910

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京師にて被捉梟首せらる、毛利豐前守, 今福の初陣、盟使の沈勇、若江の討死、冑の薫、其餘の美談後世に遺るもの一, に渉らず、此外城中に於て可稱ものは、未少弱ながら木村長門守重成なり, は遙かに劣り、長曾我部最凡下なり、後藤が死は安定ならざれば、可否の論, 利勝永たるべし、惜い哉、後世眞田を云て毛利を不云、是毛利が不肖歟、明石, 毛利兩氏が功ならずや、而して眞田は陣頭に死し、毛利は城へ入て殉死す, るべし、東軍の先備粉の如く切崩せしは、眞田が奇兵と毛利が正兵兩備の, 明石全登は、囘兵の手筈相違して、肝要の戰にはづれ、期過て戰死す、後藤基, 次は、自是前道明寺表にて戰死、此死色々説有り、爰に擱筆、右五將の優劣正, 録を以て糺す處如斯、依之列序を立んに、古今獨歩は眞田信仍、第二の功毛, 功にして、他の援なし、一旦平場の駈合に、天下の兵總崩れせしは、偏に眞田, 々擧るに不遑、弱冠に不滿して如斯、年長せば如何なる良器とやならん、心, し、何れに親元親には〓に劣れりと見ゆ、落城の節も、戰場より直に落失せ、, 徒同士の宿志に仍り、自暴自棄の討死なれば、強ち長曾我部が功とは云難, は、驍勇天下に敵無, り、毛利正なり、其頃は毛利森兩氏共, 世の事なり、毛利元就時分には、モリ元就と唱へしなり、, にモリト唱其後紛しき故に、毛利をモウリと唱るは近, 世に森豐前守と記せる書多し、非な, 今獨歩, 木村重成, 眞田ハ古, 二對スル, 評, 元和元年五月七日, 九一〇

割注

  • り、毛利正なり、其頃は毛利森兩氏共
  • 世の事なり、毛利元就時分には、モリ元就と唱へしなり、
  • にモリト唱其後紛しき故に、毛利をモウリと唱るは近
  • 世に森豐前守と記せる書多し、非な

頭注

  • 今獨歩
  • 木村重成
  • 眞田ハ古
  • 二對スル

  • 元和元年五月七日

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  • 九一〇

注記 (26)

  • 1536,630,60,1137京師にて被捉梟首せらる、毛利豐前守
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