『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.455

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百石にて呼出し、河越へ國替の節五百石給り、夫より昇進して千五百石を, 領す、忠利嫡讚岐守、若狹拜領の時、二代目七左衞門、追々加増にて五千石領, し送り給り候へとて、彼包たる刀を取出してさに、里人いよ〳〵しんかふ, 情にて、永滯留仕たり、急き東國へ行へしと云、皆々是非此所に暫く止り給, 望の如く拵遣したれは、旅裝束一日二日の中に立派に出來たり、さらは少, 光寺邊へ出るに、狂人有之、刄傷に及ひ、長光寺の客殿へ切込ム、七左衞門折, 節居合せけるが、机を取てなけか〓、彼ものを無難に生捕たり、其邊の人立, へといへとも聞入す、さらはとて此程の禮とて、面々に銀錢を持來る、康豐, 改、足立七左衞門と名乘る、駿〓田中の城主酒井備後守忠利、有時放鷹に長, さわきて、七左衞門か手柄を譽る、備前守歸城後、七左衞門が由緒を聞て、貳, 々は四人にて袷一つ給り候へと申、何も是は安き事とて、銀錢の禮を止て, ス、三代目ニて分地いたし、四千石を領し、彼家の宿老城代を勤ム、二代目七, 中々是に及ぬ事成、迚も志ならは、誰々は貳人にて股引一足給り候へ、又誰, して、本道迄送られ、駿〓の長光寺と云寺に落着たり、爰にて母方の苗字に, へ半殺しにして懷中し、此龜を布を敷時下へ入レ、餅を置たる故也、扨各の, 酒井忠利, 二仕フ, 元和元年五月十五日, 四五五

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  • 酒井忠利
  • 二仕フ

  • 元和元年五月十五日

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  • 四五五

注記 (19)

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  • 409,590,62,2235領す、忠利嫡讚岐守、若狹拜領の時、二代目七左衞門、追々加増にて五千石領
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  • 1354,598,58,2227望の如く拵遣したれは、旅裝束一日二日の中に立派に出來たり、さらは少
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