『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.536

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此若君の御盃を己頂キ度ともいたゝく事は成まし、ケ樣の御有樣に御成, 彌國松君に極る、御酒を上候處、井伊直孝來り御前にすはり、咽喉かわくに, 御坐候、右落城後、秀頼公之嫡男國松君、年八歳、然ル處大坂落城故、右嫡男, 酒呑んとて御盃を取上、殘しの酒有、掃部縁先へ其酒を捨、運の盡たる者の, も可被誅伐趣之處、當院了的上人、兩御所樣え御願申上候ニ者、根をしち, の禿を生取來を、御前へ出候へは、互になつかしきとてしたしく被成候間、, 者にてなし、此御子樣は、忝も天下の主秀吉公の御孫也、御代か御代の時は、, の御乳母、掃部そばへ立懸り、井伊掃部とは其方か、扨々人間の作法知たる, 桂山花陽院ト號ス, 飮殘、いた〳〵しきたなしとて、盃の雫をふり捨ぬくひ、酒を受のむ、國松樣, 慶長二十年大坂御陣之砌、又々當院ゟ了的上人供奉仕、功作數多之事ニ, 安倍郡府中寺安倍郡府中傳馬町ニ有リ、玉, 候故、己に迄賤まれ、扨々口惜敷事也、中々御盃を飮せる事は思も不寄と申、, 華陽院由緒書云、, 葉を枯すは至極之事ニ御座候得共、何卒是迄御陣中御供仕候功として、, 盃を奪返シけれは、掃部赤面して座を立、, 〔駿國雜志〕, 四十七之三, ○中, 佛閣, 略, 佛, 四十, 孝ヲ恥力, 母井伊直, 國松ノ乳, シム, 元和元年五月二十三日, 五三六

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  • 四十七之三
  • ○中
  • 佛閣
  • 四十

頭注

  • 孝ヲ恥力
  • 母井伊直
  • 國松ノ乳
  • シム

  • 元和元年五月二十三日

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  • 五三六

注記 (29)

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