『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.549

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見〓たり、, 乃所領は收めらる、このとき家臣五人御前にいり、, 十三年東照宮放鷹のとき、居城に渡御あり、こ乃ときはしめてまみ邊た, きむ手仰ありて、館林の城地十万石を賜ひ、大須賀家に〓まひし遠江國, には易かたくおほしめさた、今康勝卒して嗣なけれは、その遺領を繼へ, 七十八級を得たり、康勝かつそより腫物を患しといへとも、これを忍ひ, てまつり、元和元年十二月、めされて駿府に參り、東照宮に拜〓する乃と, 勝政母き某氏、別に家を興し、子孫頼母政岑宗家乃嗣となし、その譜下に, て陣中をはせめくり士卒を下知し、つゐに大坂落城に及ふ、二十七日、京, ころ、大須賀家は康高よりこのかた、勳功他に異なりといへとも、榊原家, 後宗武討死す、〓乃餘戰死し、疵をかうふなもの多し、このときまた敵首, 年、遠江國横須賀城に生る、十二年、忠政か遺領を繼、横須賀城に住す, 師片原にをいて卒す、年二十六、長譽了英心光院と號す、葬地康政におな, 忠次實は松平, 室は加藤肥後守清正か女, 出羽守忠政か長男、母き松平因幡守康元か女、慶長十, し、, ○館林, 三歳、, 時る, 善導〓, ○大, 須賀, 葬地, 養子忠次, テ出陣ス, 法號, 榊原家ヲ, 家康ノ命, 二ヨリテ, 病ヲ力メ, 繼グ, 元和元年五月二十七日, 五四九

割注

  • ○館林
  • 三歳、
  • 時る
  • 善導〓
  • ○大
  • 須賀

頭注

  • 葬地
  • 養子忠次
  • テ出陣ス
  • 法號
  • 榊原家ヲ
  • 家康ノ命
  • 二ヨリテ
  • 病ヲ力メ
  • 繼グ

  • 元和元年五月二十七日

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  • 五四九

注記 (34)

  • 247,669,57,289見〓たり、
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