『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.613

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の城において、屋形の被召上候朝の御飯に、大豆程の白キ石入たるを不被, か當番と申上る、屋形憤の御顏ニて、然らは彼を討て來よと、大さめさやの, 理の間へ走り行、彼男御肴を造り何心無く居たる所へ、御意なりと聲を懸, 大役裟に切りたり、此男元來強勇の者なれは、心得た剤といふまゝに、倒な, れ、十藏本望は遂れ共、手負なれは首取る迄不叶、急き御前へ參り、此由を申, から持たる鉋丁を持て不透切りたれは、十藏か右の腕脈筋の邊に當りた, れ共甲斐なく、日を經て、慶長十九年八月廿一日終に世を去りぬ、聞人悲ぬ, 岡ニ住す、君寵日を追て厚かりたり、然に慶長十九年の頃にや有たん、森岡, 魚の骨大キ成有り、御次之者共、是はと驚き、身を冷し居たる所、屋形其時の, 知召被召上しか、御齒にあたりたるを吐出し給ぬ、亦御汁を被召上るゝに, 上ル、去共いた手なれは、少時昏絶したるを、同僚漸々助て下宿させ、良醫力, 御宮仕北十藏を被召、今朝の料理は何者がしたりやと御尋に仍て、何の某, 御脇差を渡給へ〓、十藏不安思ひとも、上意なれは辭するに不及、急に御料, を盡とも、此疵いゆる事なし、斯しかは十左衞門鹿角ゟ立越て、色々養生す, しく才智衆に越へ、適欣然たる雄士有、二三年以來、太守の御側ニ被召仕、森, 健峯康公禪定凸, 千藏ノ不, 覺, 元和元年是秋, 六一三

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  • 六一三

注記 (20)

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