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る、十八年小田原陣には、男康信とおなしくしたのひたてま例り、關東に, 二、源榮洞心靈巖院と號す、彼地の靈巖寺に葬る、乃ち康勝かとき、領地を, 二年長久手の役に、内藤三左衞門信成をして、尾張國清洲の本丸を守ら, 奧國九戸一揆のとき、岩手澤まて供奉し、慶長五年、上杉景勝御征伐のと, 餘級を得て、新府に獻せしかき、東照宮、康貞か抜群の働を感したまふ、十, しめ、康貞及ひ大澤兵部大輔基宿、中安彦四郎某は仰をう學たまはりて、, 同國田原にう〓さるゝにより、彼寺を田原に移して改葬す、室は小笠, きも扈從して、下野國小山にいたり、關原の役には康信と共に横須賀の, 元和元年の役には、淀城を守る、十月二十三日、擧母にをいて卒す、年七十, 移らせたまふの後、武藏國瓶尻にをいて、釆地五千石をたまふ、十九年陸, 城主有馬玄蕃頭豐氏に代りてこれを守り、のちまた伊勢國龜山の城番, 増あり、すへて一萬石を領す、十九年大坂御陣のときき、駿府城を守衞し、, 二の曲輪を守よ其のちまた菅沼藤藏定政と同しく、同國黒田の城を守, をつとむ、九年十一月、釆地を三河國賀茂郡擧母にうつされ、五千石を加, 不意に吾兵の襲ひ來るを見て、退き去むとす、康貞等これを追討、首三百, 元和元年十月二十三日, 擧母ニ封, ゼラル, 元和元年十月二十三日, 八七
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- 擧母ニ封
- ゼラル
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- 元和元年十月二十三日
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- 八七
注記 (20)
- 1344,692,69,2135る、十八年小田原陣には、男康信とおなしくしたのひたてま例り、關東に
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