『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.277

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不審せしと云々、, 歴々并諸大名えも被仰含處に違背の事、第四には六十万石の大祿にして, を討たるは、凡二三百人乃歩行侍の事なれは、何をさして下死人に可出覺, 仰遣候處、少將殿、上意之趣逐一承伏有之、御請に當惑し給ひ、守山にて長坂, 性長坂血鎗か弟并伊丹某、其方え慮外したると號し、成敗之事、言語同斷の, 不及異儀之作病をかまへ、其日に至て、嵯峨川逍遙の事、第三には、御暇をも, 忠輝の舅也、いかなる所存有て、斯遲滯に及ひ、忠輝卿おし留めしやと、人皆, 財用不足の事、甚不覺悟之至に思召處也、右之條々御不豫不輕、くれ〳〵將, 軍の小性を誅せし討捨に致差置儀に無之條、早々下死人を被出候得と被, 不被仰出候處、北國の間道を罷下られ候事、此儀は兼て御制禁之段、一門之, 御亡命の後を覺し召計らるゝ處也、第二こは、京都に於ても、參内供奉之儀, 儀也、今大御所御在世の日に於てけへ、將軍え對し、右之通我儘に存候間、况, 遣けるは、今度大坂表え出陳の剋、江州守山邊に於て、將軍近習被召仕候小, し申上る、重而山田將監を被召出御尋の處、主水か演祝にひとし、抑政宗は, 九月十日、大御所より松平忠左衞門尉勝隆を上使として、上總介殿え被仰, 輝ヲ阻ミ, 政宗大坂, シコト不, 役ニテ忠, 忠輝ノ罪, 審, 名, 元和二年七月六日, 二七七

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  • 輝ヲ阻ミ
  • 政宗大坂
  • シコト不
  • 役ニテ忠
  • 忠輝ノ罪

  • 元和二年七月六日

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  • 二七七

注記 (24)

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