『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.294

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

伺公せしむ、權現樣は小聖を御膝元まて召之、御盃を賜るに、いやと云て御, 相續し、長澤に居す、然るに其年、權現樣御放鷹の序に、長澤へ御駕をまけら, 野喜右衞門と云者、清直五歳なりしを携へ出、其時は御目通り御次乃間に, 郡形原にをいて、五千石を壹まひ、隔年に釆地にゆくの暇をたまふ、, らたむ、四年七月めしかへされ、大猷院殿につかへ〓てまつり、三河國寶飯, 臣に勤仕す、元和三年四月忠輝朝臣國除かれしとき流浪し、庄右衞門にあ, 右衞門近清と云人有、若き時は新平と云、此人も姉川、三方原、長篠等の軍に, 功有て、天正六年十月十五日病死す、其子餘多有、長女は野々山四郎右衞門, 直、童名小聖と云、五歳にて父におくれけるか、遺領三州御馬郷五百貫文を, れ、近清か孤成長に及由、急きかれを台前へ出すへきと有りけれは、從者淺, 妻也、二女は山田長門守に嫁す、其次を彦三郎親重と云、早世す、其次は古河, 兵庫頭親廣、其子上野介康忠、孫上野介迄、嫡家相續す、爰に親廣の庶子に、庄, 侍從土井大炊頭利勝妻也, 手より請とらす、一門の族、事の外迷惑に及ふ所に、權現樣笑せ給ひ、當時恐, 其次は堀丹後守直寄室、其次庄右衞門清, ス續武家閑談〕十長澤松平家は、其祖備中守親則にて、夫より六代目の, ), 元和二年七月六日, 法名清, 光院、, ○下, 略, 別, 本, 家ノ由來, ノ士トナ, 長澤松平, 清直摩下, 松平清直, ノ出身, 元和二年七月六日, 二九四

割注

  • 法名清
  • 光院、
  • ○下

頭注

  • 家ノ由來
  • ノ士トナ
  • 長澤松平
  • 清直摩下
  • 松平清直
  • ノ出身

  • 元和二年七月六日

ノンブル

  • 二九四

注記 (32)

  • 269,651,69,2212伺公せしむ、權現樣は小聖を御膝元まて召之、御盃を賜るに、いやと云て御
  • 619,649,68,2213相續し、長澤に居す、然るに其年、權現樣御放鷹の序に、長澤へ御駕をまけら
  • 389,651,67,2204野喜右衞門と云者、清直五歳なりしを携へ出、其時は御目通り御次乃間に
  • 1559,645,62,2014郡形原にをいて、五千石を壹まひ、隔年に釆地にゆくの暇をたまふ、
  • 1677,642,62,2218らたむ、四年七月めしかへされ、大猷院殿につかへ〓てまつり、三河國寶飯
  • 1792,639,62,2214臣に勤仕す、元和三年四月忠輝朝臣國除かれしとき流浪し、庄右衞門にあ
  • 1205,645,67,2211右衞門近清と云人有、若き時は新平と云、此人も姉川、三方原、長篠等の軍に
  • 1089,644,66,2217功有て、天正六年十月十五日病死す、其子餘多有、長女は野々山四郎右衞門
  • 738,645,68,2216直、童名小聖と云、五歳にて父におくれけるか、遺領三州御馬郷五百貫文を
  • 506,646,67,2219れ、近清か孤成長に及由、急きかれを台前へ出すへきと有りけれは、從者淺
  • 971,647,69,2214妻也、二女は山田長門守に嫁す、其次を彦三郎親重と云、早世す、其次は古河
  • 1326,645,63,2216兵庫頭親廣、其子上野介康忠、孫上野介迄、嫡家相續す、爰に親廣の庶子に、庄
  • 853,645,62,783侍從土井大炊頭利勝妻也
  • 153,653,72,2207手より請とらす、一門の族、事の外迷惑に及ふ所に、權現樣笑せ給ひ、當時恐
  • 861,1649,62,1214其次は堀丹後守直寄室、其次庄右衞門清
  • 1421,642,102,2225ス續武家閑談〕十長澤松平家は、其祖備中守親則にて、夫より六代目の
  • 1422,603,102,25)
  • 1907,722,45,345元和二年七月六日
  • 889,1449,42,178法名清
  • 846,1450,41,119光院、
  • 1593,2671,46,116○下
  • 1551,2675,38,39
  • 1471,633,52,34
  • 1422,632,49,34
  • 1425,283,44,174家ノ由來
  • 1810,287,43,165ノ士トナ
  • 1470,284,41,173長澤松平
  • 1855,281,41,172清直摩下
  • 886,288,42,173松平清直
  • 844,294,38,121ノ出身
  • 1907,721,45,345元和二年七月六日
  • 1911,2441,45,124二九四

類似アイテム