『大日本史料』 12編 27 元和三年四月~同年八月 p.42

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略を用ひて、平靜を維持せり、, め、去る五月、父君の命を果すべく、極めて華麗に其遺骨を彼所に移さしめ、, に到る者甚だ多し、將軍は父君のため、非常に莊麗なる社を此山に建てし, 三日程なる、上野の國の日光山と云ふ非常に高き山の頂に、埋葬すること, 昨年通信せし如し、右命令の一は、死したる父君を、江戸の宮廷を距ること, 一の名〕は、將軍或は公方又は御所と稱する其子即ち大將軍と共に、又關白, にして、日本の君と立てられし太閤の子にして、當時實際王たりし關白〔即, を抱く者多けれども、手を出す者一人もなく、各々誰か動く者あるを待ち, つゝありしが、將軍は、諸侯中最も危險なる者を人質として朝廷に留め、策, いて今日に及びたり、次で内府の死せるに依り、諸侯多數の黨派、權勢及び, 啻に日本國中の主なる坊主の群が、殆んど殘らず之に參與せしのみなら, 野心の爲め、昨年中騷亂と革命の恐ありしが、現將軍に對しては、心に敵意, 内府は、千六百十六年死し、多くの注意と命令を其子將軍に遺しゝことは、, ち全國の治者]と戰ひて之に勝ち、尚諸國に一般的平和安寧の基を置き、延, なりき、同所には、又ゴウゲンといふ神の偶像を祀れる社あるがため、此地, 家康遺命, シテ日光, 山ニ〓ラ, 家康豐臣, 氏ヲ滅ス, シム, 元和三年四月十七日, 四二

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  • 家康遺命
  • シテ日光
  • 山ニ〓ラ
  • 家康豐臣
  • 氏ヲ滅ス
  • シム

  • 元和三年四月十七日

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  • 四二

注記 (23)

  • 977,659,60,854略を用ひて、平靜を維持せり、
  • 283,672,70,2201め、去る五月、父君の命を果すべく、極めて華麗に其遺骨を彼所に移さしめ、
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