『大日本史料』 12編 28 元和三年九月~同年十二月 p.421

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國は西方にありと、, 此等の伴天連は、丹波、津の國の諸州及び四國の島を巡回せり、, シスコも、翌日同じく教に殉じたり, や、泣き叫びて、父母の名を呼びしが、其場にありしアントニオの朋友なる, へ給へと、彼の南に面せし時、異教徒の一人、そは死に臨みて西に向く日本, 四國の一州なる讃岐にては、七月十六日、首府高松にて、アントニオ・石原孫, 隱れ家に乏しく、祕蹟を授くること甚だ困難なりき、, ひ去られて刑場に伴はれたり、小兒は、手先の手に抱き上げらるゝを見る, るが如く、彼に依りて、殉教の勝利を得たるものなるが、今や母の懷より奪, の習慣に反せりと注意せしに、アントニオは答へて云へり、然り、汝等が天, を照らしてやれと云ひしに、アントニオはそれに答へて曰く、神よ、予の信, 仰をして躓かざらしめしを謝す、願くは未來に於ても躓かざらんやう支, 幼きフランシスコは、彼に依りて立派に育てられ、且我等の敬虔に信じ得, 右衞門と稱する熱心なる吉利支丹死刑に處せられ、四歳なる其子フラン, 孫右衞門の刑場に送られしは、夜間なりしが、手先の一人、轉ばぬやう、足下, たり、後商人となりて高松に住せり, アント二オは肥前に生れ、嘗て兵士, 及ビ四國, 畿内近國, ノ巡回, 伴天連ノ, 高松ノ殉, 教者, 元和三年是歳, 四二一

割注

  • たり、後商人となりて高松に住せり
  • アント二オは肥前に生れ、嘗て兵士

頭注

  • 及ビ四國
  • 畿内近國
  • ノ巡回
  • 伴天連ノ
  • 高松ノ殉
  • 教者

  • 元和三年是歳

ノンブル

  • 四二一

注記 (25)

  • 677,668,55,570國は西方にありと、
  • 1717,665,59,1858此等の伴天連は、丹波、津の國の諸州及び四國の島を巡回せり、
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  • 1833,663,56,1579隱れ家に乏しく、祕蹟を授くること甚だ困難なりき、
  • 326,670,59,2189ひ去られて刑場に伴はれたり、小兒は、手先の手に抱き上げらるゝを見る
  • 442,674,59,2192るが如く、彼に依りて、殉教の勝利を得たるものなるが、今や母の懷より奪
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