『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.523

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とき、召さ〓て豐臣太閤に仕へ、信濃國川中嶋にをいて三万石を領し、乃, を領し、慶長十九年大坂陣乃とをは、みつろら兵を率ゐて天滿口にはせ, とめて、伯耆國黒坂城をたみひ、二万石乃地をくはへら)、す屋て五万石, 泰、竹中丹後守重門、稻葉右京亮貞通父子と共に、石田三成か催促に應し、, 門守に敍任し、慶長三年、蒲生秀行か封を下野國宇都宮にうすさるゝ乃, 旨を言上し、是よりして先陣乃諸將に加り、井伊兵部少輔直政か手に屬, ち美濃國土岐多良にうずり、五年、關原陣の時、一政兼て加藤左近將監貞, をすきたまふ乃とを、御書ならひに御使をたまふ、文祿四年、從五位下長, 戸の城にをいて戰功あり、乃ち東照宮平泉におもむき給はんとて、三關, 犬山の城兵に加多といへとも、貞泰兼て三成に宿意あるにより、重門等, と議して、東照宮に志を通しとてまつる、一政も其列に在りて、別心なき, し、凱旋のゝち、舊領伊勢國龜山城に復し、十五年七月十九日、封地をあら, 其後陸奧國白川乃城に住す、天正十九年、豐臣太閤陸奧國追討乃とを、九, 一政母と定秀か女、某年、伊勢國龜山に生る、のち蒲生飛騨守氏郷に屬し、, 氏盛, 〓, 兵助、安藝守、兵部少輔、, 從五位下、致仕號自閑、, ニ仕フ, 經歴, 豐臣秀吉, 關原ノ役, ニ屬ス, 徳川家康, 蒲生氏郷, ニ通ズ, 元和四年七月是月, 五二三

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  • 兵助、安藝守、兵部少輔、
  • 從五位下、致仕號自閑、

頭注

  • ニ仕フ
  • 經歴
  • 豐臣秀吉
  • 關原ノ役
  • ニ屬ス
  • 徳川家康
  • 蒲生氏郷
  • ニ通ズ

  • 元和四年七月是月

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  • 五二三

注記 (28)

  • 1205,700,66,2128とき、召さ〓て豐臣太閤に仕へ、信濃國川中嶋にをいて三万石を領し、乃
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