『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.33

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の尊き殉教の光榮をぎむフィリッピンの諸修道院は、ドミニコ會のパー, ドレ・アンジェロ・オルスッチ, 長崎には、多數の宣教師在りしが、又新に到著したり、ナヴァレテとアヤラ, 著地にをのコ言教參アなて初にレベの本がミ祭四け十チに, に同密と派シ方をにタむし最ンエ得ル日るの司の受日ツカ, すに、通得教にを化加ンく彼新渡エし修をそネと旬た四と生〓, ンてしこ同キの心事バ止にりピフしエはたマに年を五スツ, 三ピ得のるるメ方人仕めれ者れツで起レ彼み!年四號十ルル, 云へり、當時彼は、其血族に當る聖徒フェレエルの記念として、フェレエ, 院に送られたり、彼は僧院の四壁によりて、神聖なる念を誘起し得べしと, るイずて會赴習せすにマはセりルと道訪はルな節り歳イれ, 十二人のパードレと協力して、聖ロザリヨ管區の設立に當れり、最初新, なる稱號を用ゐたり、一六〇一年、ヴァレンシヤよりフィリツピンに渡り, ツを奧耽なに地ての爲倒信當リし誘エり拒ロ七九稱二オるμ1, るとにはりこり彼使地大ぜとり血は移と彼ツ五八ロヨ, りれのれ印力立ざ同し習道一用彼た班のなヤ一六のラヨ, 胸中、哲學上の議論とは、全く異なる思想を有したればなり、彼は日本を訪, イ許の養宿爲り方彼復爲が立フ念念テばく送五一ロ二ィナし, き區所心組年ひをの年は殆管シエ神ヴ有講に助士ア八ルは〓, リ可内に所め此に等のめ未にとをフなをり九五の月ノな, 一ギヤの傳道を命ぜられしが、當時此地は、殆ど凡てが未信者にして、彼は, 多い恵茲フと神は徒にのら協一族僧らははデ年日マツ, フる心修ののよ地く囘のて設り記るンれつを一り十デカ院, よま靈なて協をばもりを傳パを時れ西上とジに年カフジ, 〓に土語を習ひ、多大の戍果を收めたり、彼は過勞の爲め倒れ、止むなく, れり寵彼よるたきの其多命レた其彼に論りス九十ンチ, このバードレは、トスカナなるルツカに生れ、, 兩親は、貴族べルナルデイノ・オルスツチと、イ, ザベルラ・フランチヨツテイなり、彼は一五八六年十二月二十五日、十四歳, の助祭となれり、彼は茲に一意冥想と自己心靈の修養に耽ることを得, 非常なる靈の恩寵に惠まれ、殊に年代記に、所謂人心の内奧の祕密に通、, き、同地にて、印度よりフィリツピンに歸る組合員の宿所なる同派の教會, にて、ルッカのサン・ロマンにて僧侶となり、アンジエロの稱號を受けたい, る力を惠まれたりといふ、彼は前住ぜる管區に歸る許可を得て、同地に、イ, ひ、傳道に協力することを得たり、一六一二年、服從の爲めに、メキシコに, に副助祭に、一五九五年に、クェルチヤにて助祭に、一五九七年に司祭と, 一五八九年六月十八日、十七歳にて誓願修士となり、一五九四年の四旬節, る、ベルージャのスッデイオ・シエネラーレに一年を送り、ローマのミネ, 〓んとし、西班牙に移らんことを求め、サン・ヴイセンテ・フェレエルの修, ヴァ會員となれり、彼はクエルチアの哲學講座につくを拒みたるが、そ, んとの誓を立てたり、神、彼に健康を與へ給ひしにより、此地方の方言を習, 胸中、哲學上の議論とは、〓く異なる思想を有したればなり、彼は日本を訪, をる記自歸一へ勇すとり地リレエりサ想哲1に願な一族ド, スパニヤより來れ, ろおるす, あんじえ, っち長崎, ニ來ル, 元和四年是歳, 三三

割注

  • このバードレは、トスカナなるルツカに生れ、
  • 兩親は、貴族べルナルデイノ・オルスツチと、イ
  • ザベルラ・フランチヨツテイなり、彼は一五八六年十二月二十五日、十四歳
  • の助祭となれり、彼は茲に一意冥想と自己心靈の修養に耽ることを得
  • 非常なる靈の恩寵に惠まれ、殊に年代記に、所謂人心の内奧の祕密に通、
  • き、同地にて、印度よりフィリツピンに歸る組合員の宿所なる同派の教會
  • にて、ルッカのサン・ロマンにて僧侶となり、アンジエロの稱號を受けたい
  • る力を惠まれたりといふ、彼は前住ぜる管區に歸る許可を得て、同地に、イ
  • ひ、傳道に協力することを得たり、一六一二年、服從の爲めに、メキシコに
  • に副助祭に、一五九五年に、クェルチヤにて助祭に、一五九七年に司祭と
  • 一五八九年六月十八日、十七歳にて誓願修士となり、一五九四年の四旬節
  • る、ベルージャのスッデイオ・シエネラーレに一年を送り、ローマのミネ
  • 〓んとし、西班牙に移らんことを求め、サン・ヴイセンテ・フェレエルの修
  • ヴァ會員となれり、彼はクエルチアの哲學講座につくを拒みたるが、そ
  • んとの誓を立てたり、神、彼に健康を與へ給ひしにより、此地方の方言を習
  • 胸中、哲學上の議論とは、〓く異なる思想を有したればなり、彼は日本を訪
  • をる記自歸一へ勇すとり地リレエりサ想哲1に願な一族ド
  • スパニヤより來れ

頭注

  • ろおるす
  • あんじえ
  • っち長崎
  • ニ來ル

  • 元和四年是歳

ノンブル

  • 三三

注記 (50)

  • 1781,648,65,2186の尊き殉教の光榮をぎむフィリッピンの諸修道院は、ドミニコ會のパー
  • 1669,640,63,840ドレ・アンジェロ・オルスッチ
  • 1899,638,61,2190長崎には、多數の宣教師在りしが、又新に到著したり、ナヴァレテとアヤラ
  • 253,2635,1513,49著地にをのコ言教參アなて初にレベの本がミ祭四け十チに
  • 255,2562,1501,51に同密と派シ方をにタむし最ンエ得ル日るの司の受日ツカ
  • 249,2708,1555,52すに、通得教にを化加ンく彼新渡エし修をそネと旬た四と生〓
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  • 196,2415,1578,54三ピ得のるるメ方人仕めれ者れツで起レ彼み!年四號十ルル
  • 1073,650,42,2157云へり、當時彼は、其血族に當る聖徒フェレエルの記念として、フェレエ
  • 1117,651,44,2174院に送られたり、彼は僧院の四壁によりて、神聖なる念を誘起し得べしと
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  • 261,1282,1386,46多い恵茲フと神は徒にのら協一族僧らははデ年日マツ
  • 256,2133,1585,50フる心修ののよ地く囘のて設り記るンれつを一り十デカ院
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  • 1585,647,47,2183ザベルラ・フランチヨツテイなり、彼は一五八六年十二月二十五日、十四歳
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  • 1542,654,45,2160にて、ルッカのサン・ロマンにて僧侶となり、アンジエロの稱號を受けたい
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  • 533,664,44,2135ひ、傳道に協力することを得たり、一六一二年、服從の爲めに、メキシコに
  • 1424,665,45,2141に副助祭に、一五九五年に、クェルチヤにて助祭に、一五九七年に司祭と
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  • 1355,668,42,2101る、ベルージャのスッデイオ・シエネラーレに一年を送り、ローマのミネ
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  • 1308,645,45,2145ヴァ會員となれり、彼はクエルチアの哲學講座につくを拒みたるが、そ
  • 603,671,47,2159んとの誓を立てたり、神、彼に健康を與へ給ひしにより、此地方の方言を習
  • 1235,645,45,2270胸中、哲學上の議論とは、〓く異なる思想を有したればなり、彼は日本を訪
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