『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.784

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もあり、または惡口する族もあり、丹波また兩使を以て、各の所存を聞ん, 丹波, 兩使をもつて諸士, といふ、諸士一致に、籠城の外他なしと返答す、丹波ろ言く、事實ならば是, 沒收せらも候、其身き信濃へ配流也、時に正則家人等藝〓廣嶋の城に閑, に記せよとて、神文の誓詞一卷に、侍大將、物ろしら、諸士の假名を記して, 至極こ候といふ、諸士聞て、名高き丹波とも覺へぬ申樣ふしき也といふ, て、日比の恩を報じたく候へとも、老衰故勇氣なく、籠城の行なし、頗無念, 云, 可然候、拙臣此ニ候ヘバ、奧方ノ事ハ御心ヲ煩サルベカラズ、御介借仕リ、, 出す、諸士おの〳〵我先にと判形す、是によつて丹波出坐し、是を頂戴し, 居候、左衞門大夫、備後守下知を待て城を渡さす、上使并諸將馳向て、廣嶋, 皺腹ヲ割テ、殿閣ニ火ヲ放チ、跡マデ人口ニ毀ラレザルヤウニ可仕候ト, 〔兵家茶話〕ニ一福嶋左衞門太夫正則、上意に應せさる數ケ條にて領知, の城邊山上廣野に陣をとる、左衞門大夫の諸士本城に來集す、老臣福嶋, に告て曰く、太守失なふして配所に罪せられ給ふ、當城をせめて一日保, 元和五年六月二日, ○下略、林新右衞門、諸大名ノ招聘ヲ辭ス, 數度の譽有、始秀吉公に仕ふ、後に正則に仕へ、〓, しめ吉川平大夫といふ、後に丹波にあらたむ, ルコトニカヽル、下ニ收ム、明良洪範同ジ, 諸士ノ神, 福島丹波, 文ヲ徴ス, 七八四

割注

  • ○下略、林新右衞門、諸大名ノ招聘ヲ辭ス
  • 數度の譽有、始秀吉公に仕ふ、後に正則に仕へ、〓
  • しめ吉川平大夫といふ、後に丹波にあらたむ
  • ルコトニカヽル、下ニ收ム、明良洪範同ジ

頭注

  • 諸士ノ神
  • 福島丹波
  • 文ヲ徴ス

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  • 七八四

注記 (25)

  • 529,715,59,2119もあり、または惡口する族もあり、丹波また兩使を以て、各の所存を聞ん
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