『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.504

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として越前國に進發あるのときも、先手をうけたまはりて軍功を勵ま, 附られ、人數をかり催すへきむね内書をあたへらる、四月、香西越後元成, 願寺の門徒飯森山の麓に馳集る、藤孝これをうちて首級を得、感書を賜, 朔日、松永久秀か屬城河内國片岡を攻てこれを陷れ、又感状を下さる、五, 佐をはしめ敵兵數多をうちとる、九月十八日、三好か家士をよひ大坂本, す、九月二日、船井桑田兩郡を加恩あり、四年、本願寺顯如大坂にありて右, 府にしたかはさるにより、四月十四日、諸將とゝもにこれをせめ、ひさし, 書をあたへらる、三月朔日、一揆の魁首鈴木孫一持久か居城をせめ、十月, 十六日、貝塚の一揆を追撃し、二十二日の合戰にも敵數多うちとりて感, く在陣す、五年二月、紀伊國雜賀一揆退治として、男忠興とゝもに出陣し、, 日、久秀か居城志貴を攻るのときも軍功あり、この年、丹波國にうち入て, ふ、それより三好か一族の籠れる同國萱振の城を攻落し、又感状を賜ふ, 十河因幡某等か籠れる和泉國新堀城を攻て功あり、八月、右府一揆退治, 三年三月、右府本願寺を攻むとて、丹波國船井桑田兩郡の諸士を藤孝に, 龜山城を降らしめ、その餘、笹山、久下、過部、籾井、萱振等の諸城を落す, 慶長十五手八月二十日, 二月, ○十, 攝津紀伊, 河内ニ轉, 戰ス, 伐テ之ヲ, ヲ河内二, ヲ陷井ル, 龜山笹山, 等ノ諸城, 破ル, 三好ノ黨, 五〇四

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  • 二月
  • ○十

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  • 攝津紀伊
  • 河内ニ轉
  • 戰ス
  • 伐テ之ヲ
  • ヲ河内二
  • ヲ陷井ル
  • 龜山笹山
  • 等ノ諸城
  • 破ル
  • 三好ノ黨

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  • 五〇四

注記 (29)

  • 1092,708,56,2150として越前國に進發あるのときも、先手をうけたまはりて軍功を勵ま
  • 1324,702,59,2164附られ、人數をかり催すへきむね内書をあたへらる、四月、香西越後元成
  • 1672,697,59,2156願寺の門徒飯森山の麓に馳集る、藤孝これをうちて首級を得、感書を賜
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