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代目兵庫頭堅高、正保四丁亥年冬、沒收の節、木造も又浪人す、, 付て、厚く請招す、家長とす、關ケ原の時、秀信は西國方へ黨す、時に木造色, 統の後、福嶋左衞門大夫正則へ招かれて、正則直にいふ、兩家老福嶋丹波、, 小關石見に二万石つゝ與へし上は、少分乍も、其方にも二万石の地を領, 主人の名成を以て、木造大膳具忠と號す、康の字を憚て、忠の字に改る、福, 木造具忠申出之、依之長臣等各是に同して、此趣を申て、武士の績を顯す、, も、我々ハ主人正則ゟ預らる、正則一筆の證據なくんは相渡すましき由、, せらるへしと云々、木造、仰に可隨由にて、君臣の役をなす、時に左衞門は, 嶋沒收の時、廣嶋の城無下に不可渡、尤公儀より正則へ被預所といへと, を乘破らる、時に木造、手負なろら秀信へ申勸て、神君へ降參せしむ、御一, 元和己未、福嶋家絶て後、寺澤志摩守家へ被招、彼家に有しの、寺澤家も二, 兵存らつて、鉄炮にて打、依て手を負ぬるに付、下知の人なくして、終に塀, 々諫言すと云へ共、寵臣等の勸に依て不用、岐阜籠城して戰ふ、此時、左衞, 門は是非に不及軍を出し、戰ふて不利は、引込て門塀を固め指揮す、東國, は岐阜中納言秀信に仕、秀信き信長の嫡孫にて、信雄の甥なれき、功臣に, 元和五年六月二日, 正則ニ仕, ニ仕フ, 寺澤廣高, 元和五年六月二日, 八六五
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- 正則ニ仕
- ニ仕フ
- 寺澤廣高
柱
- 元和五年六月二日
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- 八六五
注記 (21)
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