『大日本史料』 12編 31 元和五年七月~同年十月 p.217

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

勢揃へをなし、正若宮八幡社の神前にて、此踊を興行せり、其行列の次第は、, も類ひ少き御勝利なるに、其御出陣の始、御首途の時に興行し給へる、此硼, 御形代とす、又其扈從武士の支度は陣笠、陣羽織なり、又其路の左右并に正, 若宮の邊は、見物人群をなす、御乘物の見ゆる時、諸人下知を待ず、一同に拜, り此舞踊は、後世に故事となりて、毎年七月四日、栗野郷の武士、地頭館にて, ひを推立、次に御乘物を舁く、御乘物の左右と後ろは、扈從の武士、各弓、鎗、鐵, へり、朝鮮前後七年御在陣の軍功數しれざる内に、其新寨の一戰は、古今に, 欲舞踊は、實に御勝利を得玉へる、目出度き祥瑞の舞踊と覺えたり、然しよ, 砲を携へて群從せり、又其御乘物の内には、即ち松齡公の御鎧を安置して、, 既にして三月上旬には、大口邑を御進發ありて、肥前唐津に至り、軍船を艤, 推し立、次に鐵砲組, 次に弓組、次に長, し、本藩諸郷の軍兵を待揃へ給ひ、都合歩騎一萬人を率て、朝鮮に渡海し給, 一番先に高牌を推立、其高牌の正面には、義弘公朝鮮御出陣の形を記し、其, 裏には、又一郎樣と書す、郷士麻上下にて是を持つ、次に十文字御紋の旗を, 柄組なり、此一組の跡ことに、隊長の鞍置馬を牽せたり、其次に御旗并御纒, 其跡に行く、下の弓組等も、其式同し, 一組十人なり、僕に鐵砲を持せ、武士は, 正若宮八, ニテ踊ヲ, 幡ノ神前, 毎年七月, 踊ノ行列, 興行ス, ノ次第, 元和五年七月二十一日, 二一七

割注

  • 其跡に行く、下の弓組等も、其式同し
  • 一組十人なり、僕に鐵砲を持せ、武士は

頭注

  • 正若宮八
  • ニテ踊ヲ
  • 幡ノ神前
  • 毎年七月
  • 踊ノ行列
  • 興行ス
  • ノ次第

  • 元和五年七月二十一日

ノンブル

  • 二一七

注記 (27)

  • 1208,634,60,2216勢揃へをなし、正若宮八幡社の神前にて、此踊を興行せり、其行列の次第は、
  • 1554,643,62,2199も類ひ少き御勝利なるに、其御出陣の始、御首途の時に興行し給へる、此硼
  • 407,639,59,2193御形代とす、又其扈從武士の支度は陣笠、陣羽織なり、又其路の左右并に正
  • 294,634,60,2200若宮の邊は、見物人群をなす、御乘物の見ゆる時、諸人下知を待ず、一同に拜
  • 1323,641,59,2194り此舞踊は、後世に故事となりて、毎年七月四日、栗野郷の武士、地頭館にて
  • 633,642,59,2194ひを推立、次に御乘物を舁く、御乘物の左右と後ろは、扈從の武士、各弓、鎗、鐵
  • 1669,651,59,2183へり、朝鮮前後七年御在陣の軍功數しれざる内に、其新寨の一戰は、古今に
  • 1439,640,60,2201欲舞踊は、實に御勝利を得玉へる、目出度き祥瑞の舞踊と覺えたり、然しよ
  • 520,635,60,2208砲を携へて群從せり、又其御乘物の内には、即ち松齡公の御鎧を安置して、
  • 1897,642,60,2201既にして三月上旬には、大口邑を御進發ありて、肥前唐津に至り、軍船を艤
  • 861,638,60,555推し立、次に鐵砲組
  • 862,2358,58,478次に弓組、次に長
  • 1784,645,60,2196し、本藩諸郷の軍兵を待揃へ給ひ、都合歩騎一萬人を率て、朝鮮に渡海し給
  • 1093,656,59,2185一番先に高牌を推立、其高牌の正面には、義弘公朝鮮御出陣の形を記し、其
  • 977,636,59,2204裏には、又一郎樣と書す、郷士麻上下にて是を持つ、次に十文字御紋の旗を
  • 746,643,60,2190柄組なり、此一組の跡ことに、隊長の鞍置馬を牽せたり、其次に御旗并御纒
  • 849,1211,42,1045其跡に行く、下の弓組等も、其式同し
  • 892,1218,46,1116一組十人なり、僕に鐵砲を持せ、武士は
  • 1341,286,40,165正若宮八
  • 1257,293,37,156ニテ踊ヲ
  • 1297,284,40,168幡ノ神前
  • 1387,283,40,169毎年七月
  • 1164,286,43,167踊ノ行列
  • 1211,286,41,115興行ス
  • 1123,291,40,117ノ次第
  • 195,718,45,427元和五年七月二十一日
  • 197,2436,44,120二一七

類似アイテム