『大日本史料』 12編 32 元和五年十一月~同年十二月 p.57

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

御銕炮をよひ玉藥、黄金等をたまはり、木曾及ひ苗木、岩村の城をせめ、ま, 國をよ〓木曾路の地理をたつ〓させたまふにより、詳に言上さしかは、, た親族山村甚兵衞良勝、千村平右衞門良重、馬場平左衞門某等を率ゐて、, 關治兵衛某和をこふて、苗木の城をりたし、田丸中務具直も、三成敗亡の, 事を聞て、下人福本三之丞某をして、長刀一柄を贈りる、和を請しむるの, るのところ、木曾路の諸民悉く深山にのりれ、旅亭人なくして、士卒粮食, 曾の代官たり、關治兵衞某は苗木乃城を守る、田丸中務具直は岩村の城, の城つゐにおちいる、ときに台徳院殿、信濃國上田より關原に御進發あ, 十一年、父とゝもに濱松にいたりて、東照宮ににかへたてまつる、十八年、, 成もまた叛逆を企に、このとたにあたりて、石河備前守貞清〓、信濃國木, 所々の逆徒を追討し、美濃國に至り〓、中津川、駒場等を放火す、このとき, 住す、慶長五年、上杉景勝御征伐として、下野國小山に御進發あり、石田三, 小田原落城のゝち、仰によりて、榊原式部大輔康政に屬し、上野國館林に, ところに、遠山民部少輔利景等馳くはゝりて、急にこれを攻しかは、岩村, にありる、各三成に屬せんとす、東照宮小山にをいて、友政をめされ、美濃, 元和五年十二月十九日, 關原役ノ, 館林ニ住, 戰功, 家康ニ仕, 五七

頭注

  • 關原役ノ
  • 館林ニ住
  • 戰功
  • 家康ニ仕

ノンブル

  • 五七

注記 (21)

  • 1087,710,72,2124御銕炮をよひ玉藥、黄金等をたまはり、木曾及ひ苗木、岩村の城をせめ、ま
  • 1204,715,67,2138國をよ〓木曾路の地理をたつ〓させたまふにより、詳に言上さしかは、
  • 978,718,69,2135た親族山村甚兵衞良勝、千村平右衞門良重、馬場平左衞門某等を率ゐて、
  • 745,708,73,2116關治兵衛某和をこふて、苗木の城をりたし、田丸中務具直も、三成敗亡の
  • 629,712,72,2113事を聞て、下人福本三之丞某をして、長刀一柄を贈りる、和を請しむるの
  • 284,721,66,2110るのところ、木曾路の諸民悉く深山にのりれ、旅亭人なくして、士卒粮食
  • 1434,717,73,2119曾の代官たり、關治兵衞某は苗木乃城を守る、田丸中務具直は岩村の城
  • 400,722,69,2103の城つゐにおちいる、ときに台徳院殿、信濃國上田より關原に御進發あ
  • 1904,724,69,2120十一年、父とゝもに濱松にいたりて、東照宮ににかへたてまつる、十八年、
  • 1553,714,71,2118成もまた叛逆を企に、このとたにあたりて、石河備前守貞清〓、信濃國木
  • 863,710,69,2119所々の逆徒を追討し、美濃國に至り〓、中津川、駒場等を放火す、このとき
  • 1668,719,71,2111住す、慶長五年、上杉景勝御征伐として、下野國小山に御進發あり、石田三
  • 1787,722,69,2109小田原落城のゝち、仰によりて、榊原式部大輔康政に屬し、上野國館林に
  • 515,722,69,2113ところに、遠山民部少輔利景等馳くはゝりて、急にこれを攻しかは、岩村
  • 1318,725,70,2111にありる、各三成に屬せんとす、東照宮小山にをいて、友政をめされ、美濃
  • 193,715,45,426元和五年十二月十九日
  • 1382,283,41,161關原役ノ
  • 1833,285,42,171館林ニ住
  • 1339,283,41,82戰功
  • 1950,292,40,165家康ニ仕
  • 181,2442,42,76五七

類似アイテム