『大日本史料』 12編 32 元和五年十一月~同年十二月 p.383

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れず、一同病を得て、生色なきに至れり、, 八月七日、, 等は、遺骸より隻手及び隻脚を離し得て、遺骨として保存せり、, ある聖徒ヨセフの日、いとも安らかに逝去せり、, 七月、, は先にまづ長崎の獄に投ぜられ、尋で大村の獄に移されたる後、放免せら, 其後間もなく、もとドミニコ會の教師等の從僕にして、パードレ・ナバレテ, れし者なり、同じくパードレ・ナバレテに隨伴したるヂェゴ、かの捕吏の首, が大村に赴きし時隨伴したるポール・ナガイシ再び捕へられたり、ポール, 遺骸は茶毘に付せられ、屍灰は海に投ぜられたり、されども他のパードレ, 難く、大氣の流通なき所に、十六人相共に幽閉せられ、殆んど食物を給せら, の著名なる聖徒等の行きし此道を辿りて、三月十九日、, 領の命を拒絶せしアントニオと呼ぶ理髮師及び此捕吏をユダと呼びた, 新なる徳行を積まん爲め、又勉めて更に多くの, 此等の囚人は、大村に相對して程遠か, るヨアキムも、ポール・ナガイシと同時に捕へられたり、, らぬコバラの村に移されたり、此地の一茅屋に留ること十八日、酷〓耐へ, 光榮, 月二十一日ニ至ルマデニ當ル, ○元和五年五月二十日ヨリ六, 二十八日ニ當ル、, ○元和五年六月, 月四日ニ當ル, ○元和五年二, (彼杵郡久原), ノ捕縛, ぼーるな, がいし等, 元和五年是歳, 三八三

割注

  • 月二十一日ニ至ルマデニ當ル
  • ○元和五年五月二十日ヨリ六
  • 二十八日ニ當ル、
  • ○元和五年六月
  • 月四日ニ當ル
  • ○元和五年二
  • (彼杵郡久原)

頭注

  • ノ捕縛
  • ぼーるな
  • がいし等

  • 元和五年是歳

ノンブル

  • 三八三

注記 (30)

  • 415,645,58,1137れず、一同病を得て、生色なきに至れり、
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