Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
を以被答ける故、云出ける人迷惑有之候と也、, 僧となり、京師本能寺に在て學ふ事數年、歸て親戚を視る、京に趣に及ん, 讀たり、居を榔内に賜ふ、, 大なりとせさらんや、寛陽爲に容を改む、進見することに極諫を致す、後, 曰、今や吉野山及ひ國中大禁あり、宣王の囿の四十里のみにあらて、民〓, 曰、寡人之囿方四十里、民猶以爲大何也といふに到る、書を棄て席を改て, ざれて被仰けれは、如竹威儀をとゝのへ、扨々私こも一度聖人ともいわ, 返上仕候旨被申上素るに、御取次の人あ、如竹、聖人風なる事を被申よと、, 世に此道あらん事を思ふ、果して然り、於是盡く其學を廢さ、文之に學ぶ、, に骸骨を乞て、屋久嶋に歸る、府下に在るの日、士大夫の爲に尊ひらる、金, 嶋へ罷歸候へは、飯料も有之、飢申儀ニ而は無之候間、難有は奉存候得共、, て府下を通る、文之朱子の學を講するを聞き、沾々として喜て曰、吾固り, またき念願こて候處こ、聖人風な抔被仰候は、別而祝著の事こて候あ、實, 遂に佛を去て儒と爲な、然とも髮を長ふせに、妻子を畜へす、寛陽廟に侍, 常に就て講を聞く、一日孟子を講し、齊宣王, 〔譚籔筆録〕○通昭象五所收一如竹は隅州屋久嶋舵工の子なり、幼より, 元和六年九月三十日, 今厩, ノ地, ナル, 島津光久, 致仕シテ, 屋久島ニ, ノ侍讀ト, 歸ル, 四〇七
割注
- 今厩
- ノ地
頭注
- ナル
- 島津光久
- 致仕シテ
- 屋久島ニ
- ノ侍讀ト
- 歸ル
ノンブル
- 四〇七
注記 (26)
- 1431,726,59,1349を以被答ける故、云出ける人迷惑有之候と也、
- 1201,721,59,2121僧となり、京師本能寺に在て學ふ事數年、歸て親戚を視る、京に趣に及ん
- 738,726,60,718讀たり、居を榔内に賜ふ、
- 392,729,59,2115大なりとせさらんや、寛陽爲に容を改む、進見することに極諫を致す、後
- 508,729,58,2111曰、今や吉野山及ひ國中大禁あり、宣王の囿の四十里のみにあらて、民〓
- 621,731,60,2109曰、寡人之囿方四十里、民猶以爲大何也といふに到る、書を棄て席を改て
- 1660,727,62,2113ざれて被仰けれは、如竹威儀をとゝのへ、扨々私こも一度聖人ともいわ
- 1776,726,61,2130返上仕候旨被申上素るに、御取次の人あ、如竹、聖人風なる事を被申よと、
- 969,726,59,2135世に此道あらん事を思ふ、果して然り、於是盡く其學を廢さ、文之に學ぶ、
- 277,736,60,2108に骸骨を乞て、屋久嶋に歸る、府下に在るの日、士大夫の爲に尊ひらる、金
- 1890,724,62,2130嶋へ罷歸候へは、飯料も有之、飢申儀ニ而は無之候間、難有は奉存候得共、
- 1085,725,60,2116て府下を通る、文之朱子の學を講するを聞き、沾々として喜て曰、吾固り
- 1545,729,62,2116またき念願こて候處こ、聖人風な抔被仰候は、別而祝著の事こて候あ、實
- 854,728,60,2117遂に佛を去て儒と爲な、然とも髮を長ふせに、妻子を畜へす、寛陽廟に侍
- 737,1576,60,1267常に就て講を聞く、一日孟子を講し、齊宣王
- 1294,605,105,2241〔譚籔筆録〕○通昭象五所收一如竹は隅州屋久嶋舵工の子なり、幼より
- 177,732,44,375元和六年九月三十日
- 770,1454,40,102今厩
- 723,1458,41,104ノ地
- 710,303,32,67ナル
- 793,298,40,164島津光久
- 338,304,41,159致仕シテ
- 296,305,38,150屋久島ニ
- 750,307,40,147ノ侍讀ト
- 251,302,39,74歸ル
- 177,2441,46,123四〇七







