『大日本史料』 12編 34 元和六年七月~同年閏十二月 p.584

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長久保原に, 丈善美を盡して御再建ありければ、寺門一新して、舊觀をあらためける、か, ぬ、其時、遊行派を改めて、鎭西流とし玉へり、慶長十六年十月、御長貳尺五寸, かなひ、御信教のあまり、普光觀智國師の徽號を賜はりける、しかしよりこ, 推擧に依て、寺領の御朱印を賜はりしば、師をもて當寺の中興と仰ぎ奉り, くて師の道徳天聽に達し、後陽成帝、増上寺を勅願所とし、常紫衣の綸旨を, 下され、又師を宮中に召して、淨土の法要を講ぜしめ玉ふに、其説法叡慮に, 東照大權現御歸依他に異にして、師檀の御契り淺からざりしかば、本堂方, の地なればとて、増上寺往古の本堂を下さる、即ち今の本堂是なり、又師の, 玉へり、師の本傳は、本朝高僧傳にいづ、委しき事は、新選往生傳に見えたり、, の壽像を彫刻し玉ひ、御念持佛の彌陀如來、并に寶物あまた當寺に寄附し, せん所もなかりしに、鐘皷の聲の聞ゆるをしるべに尋〓ゆかれしに、あや, 遊ばれしが、俄に雨ふり來りて、あま宿り, しき草庵に老僧の念佛するあり、母堂も從者も此庵に雨を凌ぎ、同音に念, のかた、道名いよ〳〵高く、貴賤〓仰せべといふ事なし、爰に當寺は御剃髮, 元祿十七甲申年の秋、米津清二母堂萩園初茸がりの爲にとて、當所の近村, 長久保原は米津氏の, 知行所なれはなり、, 慶長十六, 年ノ彫刻, 元和六年十一月二日, 五八四

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  • 長久保原は米津氏の
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  • 慶長十六
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  • 五八四

注記 (22)

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