『大日本史料』 12編 39 元和七年十一月~同年十二月 p.152

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左衞門佐長政、父の入道卒して後、彼所領の地分ちたひ, ひけれ、東西御和睦の儀初りて、此人、先人質を進せけれは、城中の人々、互に心を隔つゝ、終, れり、入道の四男左衞門佐長政、大將軍を望む、城中宗徒の人々、父の入道に手こりして、敢, てゆるさす、長政怒て、我信長の甥にして、淀殿の從弟也、大將軍を承らんに、何條事か有へ, き、此上は城に籠て詮なしとて、都に赴く、入道は駿府に參り候とて、尾張國名古屋の城に, 御弟也、右大臣殿の御事在し時、同く御所に侍らはれけるか、いかにしてか遁れけん、命いき, すも、大坂の城に有、既に御陣に參らんとせし處に、東西の御和睦事成て候ひき、あはれ御許, 叔父なれは、年來大坂に在て、秀頼の御許に伺候せらる、大坂の軍起りしかは、凡軍の成敗を, て、大御所に參り合、大坂の事共悉くに告申さる、此年、大坂の軍終て後、所領の地下し給ふ、, は、此人に任せらる、老將にては有、殊に親しき御事也、十万の軍兵、頼もしき大將にこそ思, しを蒙りて、京堺の間に籠居せしめ、餘命を送り候はゝやと望みける、程なく又大坂の兵起, に御和睦は事成ぬ、入道頓て駿府に使者を進らせ、本多上野介正純につきて、入道今度思わ, て、其後豐臣家に仕へ、四位の侍從になり、ほとなく入道して、有樂とは申せし也、淀殿の御, 〔古老茶話〕上一織田有樂は大和城上郡戒樹を領す、, 道卒し年月未たきかす、略, 大和國芝村一万石、有樂入(, 去ル, 揮ス, 重ヲ領ス, 長政大坂ヲ, 有樂大和戒, テ諸兵ヲ指, 大坂ニ籠リ, 元和七年十二月十三日, 一五二

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  • 道卒し年月未たきかす、略
  • 大和國芝村一万石、有樂入(

頭注

  • 去ル
  • 揮ス
  • 重ヲ領ス
  • 長政大坂ヲ
  • 有樂大和戒
  • テ諸兵ヲ指
  • 大坂ニ籠リ

  • 元和七年十二月十三日

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  • 一五二

注記 (25)

  • 344,630,60,1341左衞門佐長政、父の入道卒して後、彼所領の地分ちたひ
  • 1306,640,59,2221ひけれ、東西御和睦の儀初りて、此人、先人質を進せけれは、城中の人々、互に心を隔つゝ、終
  • 830,634,61,2221れり、入道の四男左衞門佐長政、大將軍を望む、城中宗徒の人々、父の入道に手こりして、敢
  • 709,634,60,2209てゆるさす、長政怒て、我信長の甥にして、淀殿の從弟也、大將軍を承らんに、何條事か有へ
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