『大日本史料』 12編 43 元和七年雑載 p.228

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遠賀郡大雨の時は、洪水出て、河水夥しく充滿し、恰も海のことし、水災しば〳〵有て、, より八月までほる、, をほり、遠賀河を此堀河に流し、分ち導きて折尾村を過、長崎といふ所を經て、海へい, 政公逝去し給ひしかは其事やみて、新川も半途にしてすたりぬ、, 下にて、本川筋より東の方に新川をほり、磐瀬村の前より吉田村の北なる山間に、堀河, 五穀損じ、土民憂る由、長政聞給ひ、みづから彼地に兩度至りて地形を察し、底井野の, 月と九・十月は民の〓なく、霜月・師走は寒甚しければ、毎年正月より四月まで、六月, をほらせて、衆民の水災を救はるへしとて、一吉をして、その惣司とせらる、同九年長, 上徳太夫を下司として、翌元和七年正月十四日より堀初め、同九年まで凡三年ほり、五, をうかゞひ、, 野口氏世譜〕八左衞門元和七年正月に、長政公命を下し、遠賀郡吉田村に新川, らば、水勢二にわかれ、且又ひきゝ方に早く流れ行て、洪水の災なかるべしとて、上意, 〔黒田家譜〕十四元和六年、長政五十三歳、忠之十九歳, 野口左兵衞・原彌左衞門・野村勘右衞門を惣司とし、伊藤二郎兵衞・浦, 長政卒し給て後、其功は, まだならずしてやみぬ, 談したまへり, に渡し、長政直, れ、翌廿一日、福岡に立寄て本丸を見給ひ、其次に此地川筋堀改の圖を兩人, 此此、秋元但馬守・竹中采女正筑後に來り、四月廿日、筑後を立て歸府せら, 下略, ○上, 〔掘下同ジ〕, 元和七年雜載, 二二八

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  • 長政卒し給て後、其功は
  • まだならずしてやみぬ
  • 談したまへり
  • に渡し、長政直
  • れ、翌廿一日、福岡に立寄て本丸を見給ひ、其次に此地川筋堀改の圖を兩人
  • 此此、秋元但馬守・竹中采女正筑後に來り、四月廿日、筑後を立て歸府せら
  • 下略
  • ○上
  • 〔掘下同ジ〕

  • 元和七年雜載

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  • 二二八

注記 (25)

  • 1715,584,72,2165遠賀郡大雨の時は、洪水出て、河水夥しく充滿し、恰も海のことし、水災しば〳〵有て、
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