『大日本史料』 12編 44 元和八年正月~同年六月 p.374

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之儘にては、御案堵難相成、お靜の方心を痛め、御迷惑不淺、夜に紛れ、おうはとのへ, 只一目拜之申度なとゝ申せしとそ、斯而朝夕の御膳は木具茶碗等にて、清淨に調進仕、, 或は御菓子なと、我も〳〵と獻上仕候由に候、, 御越、さま〳〵と御打歎き故、土井大炊頭殿へ御内談有之候、爰に田安比丘尼御屋敷に, 其上當春之頃にも成候へは、御臺樣より、江戸の町人へ御沙汰有之、將軍様御胤懷胎之, 油斷いたし候へは、外へ御出被成候を、近所之町人とも敬ひ尊ひ、或は御持遊ひ之品、, 條與左衞門忰藤市麻上下を著し、其側に守居候處、見咎候者有之候之付、内證申上候、, 御融走被進、岩槻近所大牧と申所にて、知行六百石被進被差置候、免角この御人ならては, 御馳走いたし、世間之聞を憚り、成程潛ませ奉りしかとも、段こ御成長に隨ひ、少しも, 者は可申上候、御取立可被下由御觸有之、御穿鑿鑿被遊候なとゝ風説聞え候により、今迄, 見性院殿と申は、武田信玄之娘にて、穴山梅雪の後室にて御座候を、大御所様御代より, 一慶長十八年癸丑、御年三歳、去年五月、初而御幟被爲建候こ付、葵御紋を付而飾立、四, 衞妻差上、一家一門打寄、心力を盡し、潛に御保護仕候へとも、近所之者ともは致推量、, との御事に究り、三月朔日、土井大炊頭殿・本多佐渡守殿兩人、田安へ御越候而、幸松, 元和八年五月九日, 神尾・竹村・四條か子, 孫、御家に被召仕候、, 幸松ヲ武田, 見性院武田, 氏ニ托ス, 氏, 三七四

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  • 神尾・竹村・四條か子
  • 孫、御家に被召仕候、

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  • 幸松ヲ武田
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注記 (22)

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