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此の光景は八月十九日, に高き臺の上に置き、彼等及び火刑に處せられたる三人の胴體も共に矢來の内に放置す, 吏等は聖なる殉教者等の息絶えしを見て、最初に斬首せし十二人の首を見せしめの爲め, たる信徒は獄吏中に知人有るを頼りて巧智を働かせ、聖なる遺體の一部を入手せしのみ, べき命を受け居たるを以て、彼等を手ひどく打擲し虐待せしにも拘らず、數人の重立ち, スト教徒は之を見て感嘆の聲を擧げ、聖なる受難者等を鼓舞すべく祈りを唱へたり、獄, ならず、フライ・ペトロ・デ・スーニガの遺體を完全なる姿の儘手に入るゝことを得た, ること數日に及べり、深き尊敬の念を以て其の遺體を崇め尊ぶべく多數のキリスト教徒, は晝夜を問はず集ひ居たりしも、番士は彼等教徒が遺體に近附き遺物を持去るを制止す, りしを以て、其の遺體を此のマニラ市に齎し、更にスペインに運び、斯かる名門の一族, 〔日本に於ける聖ドミニコ修道會のパードレ十一人の殉教に關する, なるを以て特別の榮譽もて祝福せんと欲せしが故なり、, りしが、そは彼スーニガがヌエバ・エスパニアの副王なるビリャマンリーケ侯の息子な, に起りし事なるも、其の場に居合せたる無數のキリ, マニラに於て、一六二三年八月十六日, ○中略、以下、幕府長崎ニ於テ切支丹宗徒, 和八年八月五日, 五十五人ヲ死刑ニ處スルコトニカヽル、元, ノ條ニ收ム, 十三日ニ當ル、, ○元和八年七月, 運ビ去ル, がノ遺體ヲ, 信徒等つに, つにがハす, ノ出身ナリ, へいん名門, 元和八年七月十三日, 二七九
割注
- ○中略、以下、幕府長崎ニ於テ切支丹宗徒
- 和八年八月五日
- 五十五人ヲ死刑ニ處スルコトニカヽル、元
- ノ條ニ收ム
- 十三日ニ當ル、
- ○元和八年七月
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- 運ビ去ル
- がノ遺體ヲ
- 信徒等つに
- つにがハす
- ノ出身ナリ
- へいん名門
柱
- 元和八年七月十三日
ノンブル
- 二七九
注記 (29)
- 1827,670,56,567此の光景は八月十九日
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