『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.292

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侍女を招き問に、其死骸、暫時に色變し、口より血出る事多しと、是正敷毒害なりと, 回、乙方光廣陳申は、先に出羽守義光卒して後、家親跡を繼といへ共、若年にて國政, に怠るとて、逆臣等家親を廃し、義光が末子山野邊義忠をして家督に立んとし、また, 云、よりて件の侍女を召れ鞠問あるに、光廣申せし條分明ならずとて、立花左近將監, 鎭護覺束なし、成長に及ん頃までは其領國を收められ、近江・三河兩國の内にて一萬, れがたし、二人共に身のいとま給り、國を退き申さんと難澁しけるにより、御使の兩, 召れ、領國相違なく義俊に賜ふうへは、家臣等私なく國政を沙汰すべきの恩命あり, 義重・小國日向光松・鮭延越前秀綱・大山筑前某等、乙方光廣と、甲乙爭論する事數, きといへども、今より後光廣が如き逆臣訴ふる事やむべからず、其時に至つて罪科遁, 宗茂に預けられ、義俊若年にして家中の指揮行屆かずといへ共、祖父義光が勤勞を思, 家親が頓死に及び、怪みて其屍を見んと欲するに、〓に火葬せしかバ、猶疑ひて密に, 甲方は本城豐前某・山野邊右衞門義忠・大山内膳光隆・楯岡田斐義久・東根源右衞門, て、御使島田次兵衞利正・米津勘兵衞田盛を遣さる、義忠・秀綱等が曰、台命背き難, 人歸り、此事を言上せしかば、十月廿八日、義俊若年にして家臣等和同せず、奧羽の, 元和八年八月二十一日, 非トシ立花, 訴フ, 宗茂ニ預ク, 義忠等台命, 幕府光廣ヲ, 邊義忠等ヲ, ニ服セズ, 元和八年八月二十一日, 二九二

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  • 非トシ立花
  • 訴フ
  • 宗茂ニ預ク
  • 義忠等台命
  • 幕府光廣ヲ
  • 邊義忠等ヲ
  • ニ服セズ

  • 元和八年八月二十一日

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  • 二九二

注記 (24)

  • 1150,717,58,2183侍女を招き問に、其死骸、暫時に色變し、口より血出る事多しと、是正敷毒害なりと
  • 1502,725,58,2182回、乙方光廣陳申は、先に出羽守義光卒して後、家親跡を繼といへ共、若年にて國政
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