『維新史』 維新史 3 p.76

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同志を糾合し、三月中旬を以て義旗を關東に飜し、以て京都の擧に應ぜんとして、, 久光に先だつて上京すべきことを促した。而して愛次郎・壯助の二人は水戸の, 事にして京都を離れるを得ず、偶〻愛次郎等の來訪に接したので、西下を中止して, に非ざるべしと爲し、以て私かに期待する所があつた。即ち岡藩に於いては、三, れも要領を得ずして空しく藩地に歸り、今島津久光が東上するに當つて、其の率, ゐる人數の夥しく多く、而も大小の火器を携へるを見て、これ決して單なる參府, 京し來り、爾來河内介の宅に潛居して、専ら義擧のことを畫策した。, 義擧に合流することとなり、小河一敏の僕をして檄文を西國の同志に傳へしめ、, 伊牟田尚平を伴つて東下したが、是枝柳右衞門は是と入れ代つて鹿兒島より上, 介等は曩に九州の同志に對して西下すべきことを約したのであつたが、身邊多, 是より先、西國諸藩の志士は、薩州藩の形勢を探らんが爲に入薩を企てたが、何, 等十餘名と共に上京の途に上らう, ことを請うて漸く許され、同志田近陽一郎, 月十五日小河一敏は薩摩より歸るや、直ちに藩廳に時勢を説き、國事に周旋せん, とした。偶平野國臣の來り會するあり、相携へて郷國を發し、途中幽閉中なる秋, 陽, 長, 小河一敏, の上坂, 平野國臣, 第九編雄藩の國事幹旋, 七六

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  • 小河一敏
  • の上坂
  • 平野國臣

  • 第九編雄藩の國事幹旋

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  • 七六

注記 (22)

  • 1304,578,65,2321同志を糾合し、三月中旬を以て義旗を關東に飜し、以て京都の擧に應ぜんとして、
  • 1419,583,66,2301久光に先だつて上京すべきことを促した。而して愛次郎・壯助の二人は水戸の
  • 1655,581,64,2303事にして京都を離れるを得ず、偶〻愛次郎等の來訪に接したので、西下を中止して
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  • 824,583,67,2300れも要領を得ずして空しく藩地に歸り、今島津久光が東上するに當つて、其の率
  • 705,578,70,2307ゐる人數の夥しく多く、而も大小の火器を携へるを見て、これ決して單なる參府
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