『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.51

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

て、方顏くずれておくばの見へければ、其儘死、, おばしたる佐土なれば、いかでか、其おんをわすれんや、其故、七郎右衞門尉はつる時も、, やうにして、其後色こ御とりなしを申上、四十石之御地行を申うけ而出し、其後もはごくみ, 右衞門尉にむかひて、何とてかぶさた可申、御心安あれとかた〳〵と申つるに、若其心を引, ちがへて、さゝへても有か、昔は、因果はさらのはたをめぐると云けるが、今はめぐりづく, づらせよと申事のあれば、左樣にも候哉、よき因果は、むくへ共おぼへなし、あしき因果の, ちしたる時も、女子をはごくみ、其故御わび事を申上而、國へ歸して、先はやぶさ・たかぢ, 衞門處にて、佐土はくひけり、關東へ御うつり被成而も、其右には、得戸にても、其かれい, なしに、すぐにむかいへとぶと云こと有、于今おひて、いかなればとはおもへ共、人にさへ, 佐土守をよびて、ゆいごんにも、相模にぶさたなき用にと、頼入而はて候へば、其時も七郎, 子之つゞけ、ゑんさう・たきゞにいたる迄、つゞけてはごくみ、御敵を申て、他國へかけお, あしくむくうは見へやすし、さも有か、佐土は三年もすごさずして、顏にとうがさを出かし, て、年取にはかならず、かれいにして、大つもごり之めしと、ぐわんざんめしおば、七郎右, 年も寄ければ、定而、其心はなおり可申、佐土守おば、七郎右衞門が朝夕之はごくみて、女, 子にて有上野守は、御, 年六月七日ノ條ニ見ユ, ○正信、卒スルコト、二, 元和八年十月一日, 五一

割注

  • 年六月七日ノ條ニ見ユ
  • ○正信、卒スルコト、二

  • 元和八年十月一日

ノンブル

  • 五一

注記 (19)

  • 277,713,60,1163て、方顏くずれておくばの見へければ、其儘死、
  • 1127,716,61,2195おばしたる佐土なれば、いかでか、其おんをわすれんや、其故、七郎右衞門尉はつる時も、
  • 1498,705,60,2235やうにして、其後色こ御とりなしを申上、四十石之御地行を申うけ而出し、其後もはごくみ
  • 880,709,63,2235右衞門尉にむかひて、何とてかぶさた可申、御心安あれとかた〳〵と申つるに、若其心を引
  • 762,710,59,2231ちがへて、さゝへても有か、昔は、因果はさらのはたをめぐると云けるが、今はめぐりづく
  • 520,712,61,2226づらせよと申事のあれば、左樣にも候哉、よき因果は、むくへ共おぼへなし、あしき因果の
  • 1619,706,62,2235ちしたる時も、女子をはごくみ、其故御わび事を申上而、國へ歸して、先はやぶさ・たかぢ
  • 1246,708,62,2228衞門處にて、佐土はくひけり、關東へ御うつり被成而も、其右には、得戸にても、其かれい
  • 641,710,60,2222なしに、すぐにむかいへとぶと云こと有、于今おひて、いかなればとはおもへ共、人にさへ
  • 1004,708,62,2235佐土守をよびて、ゆいごんにも、相模にぶさたなき用にと、頼入而はて候へば、其時も七郎
  • 1740,713,61,2225子之つゞけ、ゑんさう・たきゞにいたる迄、つゞけてはごくみ、御敵を申て、他國へかけお
  • 401,706,58,2233あしくむくうは見へやすし、さも有か、佐土は三年もすごさずして、顏にとうがさを出かし
  • 1370,714,62,2226て、年取にはかならず、かれいにして、大つもごり之めしと、ぐわんざんめしおば、七郎右
  • 1859,709,64,2230年も寄ければ、定而、其心はなおり可申、佐土守おば、七郎右衞門が朝夕之はごくみて、女
  • 282,2396,57,550子にて有上野守は、御
  • 266,1910,42,441年六月七日ノ條ニ見ユ
  • 310,1909,43,470○正信、卒スルコト、二
  • 166,808,45,344元和八年十月一日
  • 173,2600,43,67五一

類似アイテム