『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.68

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はれしに仍、正純計被罰、其の根の所迄御穿鑿無りしなり、但、御内密の御取計ありしや、, じ、察之に、御連枝御家門の内に、正純と合躰の方有て、遂之なば、君を換て、正純心の儘, 事なれども、右の事に言外を憚る品有之や、又一説には、不法の密通より事起るとも云り、, 爰の段有る故に、諸録に遠慮と記しけるにや、畢竟正純叛逆一通りの事は、何の遠慮に不及, 次第に大身と成り、天下の諸侯に被用より奢長じて、斯る大逆兆しけるにや、然れ共、其の, の執政し、後年には其の君をも〓逆して、天下を己が有とせんとの巧成べし、而るに暴逆顯, 落し穴を設け〓し奉る巧露顯するに仍り、公は潛に酒井雅樂頭ばかり御供にて、彼表より引, は、台徳院殿日光御社參の節、正純居城宇都宮は御泊の筈の處、上野介逆意して、御湯殿に, 頃假令如何程の權勢成とも、柳營を〓し奉りて、其の身天下を〓呑する程の威光は未有之ま, 本多上野介正純滅亡の事、諸記録に遠慮の事有て難顯と記して、其の譯不知、古老の傳説に, を計つて捉之、流刑せらると云こ、按ずるに、正純父佐渡守より相續いて、御二代に出頭し、, 〔翁草〕十本多上野介正純滅亡の事, 返され、江城へ御歸り、松平下總守、公の御裝束を著し、公に代りて御社參せられ、上野介, て、終に寛永十四丁丑年三月十日、於配所卒す、歳七十二、, 根元ニ觸レ, 湯殿ニ落シ, ズ正純ノミ, 穴ヲ設クト, 秀忠隱謀ノ, ヲ處分スト, ノ説, ノ説, 元和八年十月一日, 六八

頭注

  • 根元ニ觸レ
  • 湯殿ニ落シ
  • ズ正純ノミ
  • 穴ヲ設クト
  • 秀忠隱謀ノ
  • ヲ處分スト
  • ノ説

  • 元和八年十月一日

ノンブル

  • 六八

注記 (24)

  • 446,703,61,2201はれしに仍、正純計被罰、其の根の所迄御穿鑿無りしなり、但、御内密の御取計ありしや、
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