『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.155

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

向け攻破て、一人も殘らず首を刎ぬべしと怒り給ひしかば、御家人等東西にはせ違ひ、南北, 何拾萬騎を打ち玉ひしよりもなお勝るべしと、長刀ひつさげて出んとす、右衞門おし止め、, 頓て御館に參るべしと御使たつ、彼母大に歎き、あはれ我夫は弓矢取る身のならひなれば、, 納言殿失せ玉ひしかば、冥途の御供仕らんとて腹切て死す、, さばかり惜しかるべき命君に參らせし、たとへ我れ子なくして只ひとり住む身なりとも、い, かで再び世の人に見ゆべき、ましてかく父が家〓ぐ子あり、如何におもてなく御館には參る, らず、事隣國に聞えなば以の外の大事なりとて、討手の人こかたく制して、我身ひとり永見, べき、かゝる憂きこと聞くも恥し、自らさまかへぬ咎なりけりと、やがて髪そりこぼちて尼, が家に行むかふ、永見が家子郎等、本多殿は能き敵、此人壹人を打取て御腹召れんは、寄手, になる、守殿此よし聞召し、我が仰に隨はざらんやつには思ひしらすべき事ありとて、其子, 右衞門を誅せらるべきに極る、永見が手の兵はせ集りて彼家に立こもる、さらば軍兵をさし, 子すでに産て年いまだ若く、しかも美人の聞えあり、如何さまにも召さるべうもやと申す、, にかけめぐつて上を下へとひしめく、本多丹波守大に驚き、かくては唯此國の騷ぎのみにあ, 其子をも右衞門とぞ申ける、此比三河守殿御子ほしがらせ給ひしかば、或人永見が母は, ニ見, 死スルコト、慶長十二年閏四月八日ノ條, ○松平秀康、薨ジ、家臣永見貞武等、殉, ユ、, 元和八年十月二十一日, 一五五

割注

  • ニ見
  • 死スルコト、慶長十二年閏四月八日ノ條
  • ○松平秀康、薨ジ、家臣永見貞武等、殉
  • ユ、

  • 元和八年十月二十一日

ノンブル

  • 一五五

注記 (20)

  • 793,684,60,2240向け攻破て、一人も殘らず首を刎ぬべしと怒り給ひしかば、御家人等東西にはせ違ひ、南北
  • 309,684,62,2199何拾萬騎を打ち玉ひしよりもなお勝るべしと、長刀ひつさげて出んとす、右衞門おし止め、
  • 1524,683,61,2205頓て御館に參るべしと御使たつ、彼母大に歎き、あはれ我夫は弓矢取る身のならひなれば、
  • 1888,682,59,1440納言殿失せ玉ひしかば、冥途の御供仕らんとて腹切て死す、
  • 1405,687,59,2228さばかり惜しかるべき命君に參らせし、たとへ我れ子なくして只ひとり住む身なりとも、い
  • 1285,689,59,2229かで再び世の人に見ゆべき、ましてかく父が家〓ぐ子あり、如何におもてなく御館には參る
  • 551,689,58,2234らず、事隣國に聞えなば以の外の大事なりとて、討手の人こかたく制して、我身ひとり永見
  • 1162,685,59,2235べき、かゝる憂きこと聞くも恥し、自らさまかへぬ咎なりけりと、やがて髪そりこぼちて尼
  • 429,688,60,2233が家に行むかふ、永見が家子郎等、本多殿は能き敵、此人壹人を打取て御腹召れんは、寄手
  • 1042,693,57,2228になる、守殿此よし聞召し、我が仰に隨はざらんやつには思ひしらすべき事ありとて、其子
  • 913,685,60,2235右衞門を誅せらるべきに極る、永見が手の兵はせ集りて彼家に立こもる、さらば軍兵をさし
  • 1646,690,59,2197子すでに産て年いまだ若く、しかも美人の聞えあり、如何さまにも召さるべうもやと申す、
  • 673,698,57,2219にかけめぐつて上を下へとひしめく、本多丹波守大に驚き、かくては唯此國の騷ぎのみにあ
  • 1768,783,60,2135其子をも右衞門とぞ申ける、此比三河守殿御子ほしがらせ給ひしかば、或人永見が母は
  • 1797,690,37,75ニ見
  • 1875,2142,46,783死スルコト、慶長十二年閏四月八日ノ條
  • 1918,2144,50,780○松平秀康、薨ジ、家臣永見貞武等、殉
  • 1756,689,37,69ユ、
  • 199,787,45,427元和八年十月二十一日
  • 204,2548,46,112一五五

類似アイテム