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いかむとなれば、味方の大軍後にあり、〓日必仕寄をつくべし、しかる時は、敵兵さだめ, を放たば、城兵救事あたはじ、今某等に輕兵をそへられなば、これをやぶるべし、しかり, て引退べしと言上す、其夜、敵兵果して其柵を捨て退き去、元和元年の御陣にもしたがひ, といへども、味方も久しく居るべきの地にあらず、もし是を破らむにはこよひにしかず、, 御使にさゝれて、藤堂和泉守高虎・井伊掃部頭直孝が若江の陣所におもむき、機に乘じて, へり、彼柵を破らむ事たやすかるべし、まづ兵をして堤の上に戰はしめ、其左右より銕炮, 御歸陣のゝち、八月八日、下總國海上・香取兩郡のうちにを, 御使となり、茶磨山のかたにむかひて一戰をはじむべき旨、諸軍に嚴命をつたふ、, たてまつり、五月六日、敵八尾おもてにいづるにより、久世廣宣・本多三彌正貫とゝもに, 今按ずるに、榊原式部大輔政敦が家傳に、元和元年五月、榊原康勝卒し、嗣なきにより、, 合戰すべきのむね仰を傳ふ、七日、敵兵岡山・茶磨山に出張するのときも、廣宣とゝもに, 十二月、五郎左衞門忠次、榊原の家跡を繼により、大須賀の舊領は官におさめらる、, いて三千石の地をたまふ、, このとき、御〓下より附屬せられし, 元和八年十一月二十日, 方面ノ戰ニ於イテ使番ヲ勤ムルコ, ト、元年五月七日ノ條ニ見ユ, 勝卒シ、嗣ナキニ依リ、幕府、忠次ヲシテ其遺跡ヲ繼ガシメ、, 是ヨリ大須賀氏絶ユルコト、元年五月二十七日ノ條ニ見ユ, 河内岡山, ○廣宣, 康, ○, 千石ヲ賜ハ, 下總ニテ一, 大坂夏陣後, ル, 三〇一
割注
- 方面ノ戰ニ於イテ使番ヲ勤ムルコ
- ト、元年五月七日ノ條ニ見ユ
- 勝卒シ、嗣ナキニ依リ、幕府、忠次ヲシテ其遺跡ヲ繼ガシメ、
- 是ヨリ大須賀氏絶ユルコト、元年五月二十七日ノ條ニ見ユ
- 河内岡山
- ○廣宣
- 康
- ○
頭注
- 千石ヲ賜ハ
- 下總ニテ一
- 大坂夏陣後
- ル
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- 三〇一
注記 (28)
- 1521,737,63,2164いかむとなれば、味方の大軍後にあり、〓日必仕寄をつくべし、しかる時は、敵兵さだめ
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