『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.252

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久手の役にも祐光とゝもに信濃國勝間の砦を守り、そのゝち牧野半右衞門康成に屬し, 麾下に屬せしかば、其賞として胤久兄弟に駿河國曲金・長崎兩所に於て各百貫文の采, 地をよび粮米百俵を賜ひ、七月九日、連名の御朱印を下さる、このとし甲斐國に御出, 馬あり、北條氏直、若神子邊に出むかひて對陣す、このとき胤久兄弟御先にすゝみ、, 胤久母は某氏、信玄・勝頼につかふ、天正十年、勝頼沒落のゝち、津金の郷は信濃國, ほせをうけたまはりて信濃國におもむき、岩尾・穴小屋・前山等の敵を討、十二年長, の境たるにより、北條氏直より計策をもつてしば〳〵まねくと雖も、これにくみせず、, 行はるべきの御朱印を下され、足輕十人を預けらる、このとし兄祐光等とおなじくお, て、尾張國一宮城の番をつとむ、十三年、眞田昌幸が居城をせむるのとき、敵兵城中, 兄小尾監物祐光と共に、阿部善九郎正勝をして、妻子を質にたてまつり、東照宮の御, 敵地を教導し、江草の根小屋の砦をせめやぶり、あまたの敵兵をうちとり、其首を新, 府にたてまつりしかば、御感ありて、九月九日、甲斐國の本領津金の郷・信濃國機の, 藏・比志三郷にして二百六十三貫文の地を加へられ、すべて四百五十五貫文餘の地宛, 郷、上野國下高田・清水等のうちにをいて百九十二貫文餘の地をたまはり、村山・一一, 采地ヲ加へ, 二屬シ駿河, 甲斐ノ本領, 津金郷等ニ, ノ内二采地, 家康ノ〓下, ヲ與ヘラル, ラル, 元和八年雜載疾病・死歿, 五二

頭注

  • 采地ヲ加へ
  • 二屬シ駿河
  • 甲斐ノ本領
  • 津金郷等ニ
  • ノ内二采地
  • 家康ノ〓下
  • ヲ與ヘラル
  • ラル

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 五二

注記 (24)

  • 325,714,59,2206久手の役にも祐光とゝもに信濃國勝間の砦を守り、そのゝち牧野半右衞門康成に屬し
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