『大日本維新史料 編年之部』 2編 3 安政1年2月1日~同年2月10日 p.239

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を譽め候得は、どふだろ河州と餘程深き色事をやりて、彼地こ出候樣なりと被申候由、作, 當時は異人ニ貌出し不出來こるも御察可被下候、榮が見通しこるは、交易こなりて己れは, 異人よりよく被思て、己を利するの計なるへし、豆州は彼を天地間之一人と存知居り候由、, 一體去年内海へ乘込候と申は、榮左衞門が彼理へ内々こる江戸近くニ乘込候方が早く事, 貌出し不被仕由、去年は取扱別段之趣こる、御抱席より御普代永々御目見席ニ相成候もの、, 榮左衞門が豆州之命を以、大體壹人こる應接取扱候由、夫れこは色々不屆之致方御坐候由、, り候事、毎々なるよし、次ニ拙へ之書状こも御坐候、依る當年は榮左衞門は一切異人へは, が埓明候故宜敷と申候由、夫故乘込候との事、彼是玄河も去年榮がケ樣申候抔よ謂て甚困, 爰等之ぐ合は玄河もよく存知居り候事、浦賀は玄壹人外こ人才無之、甚危き事こ御坐候、, こ立申間敷と申ニ付、櫻歸府之上、中西と心を合て石和へ精々遊説、石も大ニ〓嘆いたし、, 玄も櫻任ニ向へて是非、援兵無之るは立切れ兼候と申候、援兵と申は小田亦藏ならでは役, 直こ福へ言上之由、夫よりは跡承り不申候、兩田へも兩人こる行て遊説いたし候事、小田, 州之河州腹なる事は、玄河も存知居り候由、豆州は本より取るこ不足、去年夏彼理へ嘉山, ものが當今之大毒虫こる御坐候由、羽倉外記も爰等之處は餘程存知居り候由、伊佐が作州, は姦腹、乍去無助才爲て居り、只今ニ自分と交易論を不唱こ、人を遣ふて爲唱候事、兎角彼, 山榮左衞門, 戸田氏榮香, ノコト, 小田又藏登, 庸ノコト, 安政元年二月六日, 二三九

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  • 山榮左衞門
  • 戸田氏榮香
  • ノコト
  • 小田又藏登
  • 庸ノコト

  • 安政元年二月六日

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  • 二三九

注記 (22)

  • 1619,629,66,2219を譽め候得は、どふだろ河州と餘程深き色事をやりて、彼地こ出候樣なりと被申候由、作
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