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この一揆の首謀たる栗林村の命助といへるは、歸村後出奔して行衞知れず、安政四年に至り、二條家の臣三浦命助, 不被成候ては全く不相濟候間、是非一兩日中表向御屆被成候御調の趣を以て御斷に御座候へ共、漸くの次第にて先, 猶以申進候、仙臺樣意味合は、先達て一應の御闢置書御用番樣御勝手へ御差出被成候へ共、追々日數相立、表立御屆, るも何等處罰することなかるべきを誓ひ、引渡を受けて歸國し、事漸く解けたり、, づは御聞濟に御座候、扨て又阿部伊勢守殿にても、可相成は御内分にて事濟に相成候樣、御取計專要の旨、御内々公, と稱し、兩刀を帶び從者を隨へ、平田番所を通行せしを捕へられ、〓藩の罪により監禁せられたるが、間もなく獄中, が、四十五名の農民はその後仙臺城下に移され、彌六郎は十月十三日出發、仙臺に赴き農民の願意を容れ、且つ歸國す, 千春今日出立下り申渡、道中差急罷下り可申旨申渡、委細申含め差下し候間、御聞取、御内分御引請相成候樣、御取, 依て曩に免職したる南部彌六郎・楢山五左衞門を復職せしめ、彌六郎を仙臺に派遣して、處理せしむることゝなせし, 計可被戌候、右申遣候、, 含め差下し候間、着致し候はゞ、御聞取可被成候、, 用人にて御心付等も御座候へば、旁別紙申入候通早俄取事濟に至候樣可被成候、右意味合の義は石龜千春へ委細申, にて病死したり、, 大日本維新史料第二編ノ四終, 等ノ復職ト, 南部彌六郎, 事件ノ解決, 安政元年二月二十三日, 七一四
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- 等ノ復職ト
- 南部彌六郎
- 事件ノ解決
柱
- 安政元年二月二十三日
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- 七一四
注記 (19)
- 1003,690,54,2169この一揆の首謀たる栗林村の命助といへるは、歸村後出奔して行衞知れず、安政四年に至り、二條家の臣三浦命助
- 1616,686,53,2172不被成候ては全く不相濟候間、是非一兩日中表向御屆被成候御調の趣を以て御斷に御座候へ共、漸くの次第にて先
- 1705,686,52,2172猶以申進候、仙臺樣意味合は、先達て一應の御闢置書御用番樣御勝手へ御差出被成候へ共、追々日數相立、表立御屆
- 1093,647,50,1531るも何等處罰することなかるべきを誓ひ、引渡を受けて歸國し、事漸く解けたり、
- 1530,691,52,2166づは御聞濟に御座候、扨て又阿部伊勢守殿にても、可相成は御内分にて事濟に相成候樣、御取計專要の旨、御内々公
- 915,690,54,2168と稱し、兩刀を帶び從者を隨へ、平田番所を通行せしを捕へられ、〓藩の罪により監禁せられたるが、間もなく獄中
- 1179,643,51,2215が、四十五名の農民はその後仙臺城下に移され、彌六郎は十月十三日出發、仙臺に赴き農民の願意を容れ、且つ歸國す
- 1881,694,53,2162千春今日出立下り申渡、道中差急罷下り可申旨申渡、委細申含め差下し候間、御聞取、御内分御引請相成候樣、御取
- 1267,642,51,2213依て曩に免職したる南部彌六郎・楢山五左衞門を復職せしめ、彌六郎を仙臺に派遣して、處理せしむることゝなせし
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