『大日本維新史料 編年之部』 3編 3 安政5年3月1日~同月20日 p.607

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〔堀田正睦〕, 參朝するを例とす、, 連絡の任に當りて、斡旋頗る力む、, 呼び立つ、, 石も效あるべからず、」と告げ、唯唇を濕ほすべき水藥を與へて去る、疾むこと半日ばかり, にして、終に歿す、因りて其遺骸を茶毘に附し、鞍馬口天寧寺に於て、葬儀を營み、其遺骨, 峰重、毎朝食後厠に上り、其れより身體を淨め、衣服を改め、正坐して東方を拜し、然る後, も、尚ほ出で來らず、妻怪みて容子を窺へば、中に苦悶の聲あり、乃ち大に驚きて、家人を, 半十郎走り來りて戸を開けば、峰重則中に俯伏して苫悶す、乃ち妻と與に扶け出だして、, 褥上に臥せしむ、左の眼も釣り、口も釣りて、言語通ぜず、手足も亦た自由ならず、人を馳, せて、典醫頭を招く、正睦隨從の醫員三宅艮齋も亦た來り診し、「是れ卒中症なり、今は藥, 禁裏付武官都筑駿河守峰重の役宅は、京都荒神口に在り、正睦の上京せしより公武の交渉, 朝、峰重其姪飯島半千郎と與に食膳に着き、終りて厠に上る、時を移せど, 三月十七日, しミ比みならす。なら奉行中。大津に被居候な別懇故之。, 四月三日晴前に記すとく。所々へ暇乞として參る。其内駿河守之位牌を拜む。いとかなし。この人三十年來のな, 内務部編, ○千葉縣, 五年, 安政, 歿ス, 都筑峰重卒, 中症ニ罹リ, 安政五年三月十七日, 六〇七

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  • 内務部編
  • ○千葉縣
  • 五年
  • 安政

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  • 歿ス
  • 都筑峰重卒
  • 中症ニ罹リ

  • 安政五年三月十七日

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  • 六〇七

注記 (25)

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