『大日本維新史料 編年之部』 3編 5 安政5年4月11日~同月25日 p.24

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たりき、, 歸府の上推參の事を申入れたりしに、其返書左之通り、, 豁にせし由にて、歡ひて歸り去れり、, 四月十三日、岩瀬肥州ゟ左内へ返書如左、, くて歸りしに、辰の半刻比にやあらん、御門前を通れるを見付たれは、呼ひ入れて、又左内, か許にて論談に及ひたりしに、此日は辨論漸く行屆きて、圓四郎の疑團も氷釋して襟懷を, 一、此夕、橋本左内、岩監察の許に至れり、是は左内か京にて逢ひたりし時、肥州の申され, しは、關東にて諸〓の一和せん事は、偏に太守公に依頼し奉るより外の策なけれと、其, と、師質早朝に圓四郎か許へ至りしに、昨日御館へ參りていまた歸らすといへれは、本意な, 四月十四日、昨日左内と圓四郎の議論盡さる處も殘りたる處もあれは、其事を研究すへし, 一、橋本左内在京中、岩瀬肥州の京を立るへき前日に唯一度面談せり、論談も盡さりし故、, 以前に御國へ歸らせ給ふましきか、いつれにしても御引留申さては難叶由物語あり、且江, 上ニ掲グルヲ以テ之ヲ略ス。, ○岩瀬忠震ヨリ左内ヘノ書翰、, ○中, 略、, 略、, ○中, 圓四郎再ビ, 左内ト談論, 求ム, 左内岩瀬忠, 震ニ會見ヲ, 左内忠震ヲ, 訪フ, 安政五年四月十一日, 二四

割注

  • 上ニ掲グルヲ以テ之ヲ略ス。
  • ○岩瀬忠震ヨリ左内ヘノ書翰、
  • ○中
  • 略、

頭注

  • 圓四郎再ビ
  • 左内ト談論
  • 求ム
  • 左内岩瀬忠
  • 震ニ會見ヲ
  • 左内忠震ヲ
  • 訪フ

  • 安政五年四月十一日

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  • 二四

注記 (27)

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