『大日本維新史料 編年之部』 3編 5 安政5年4月11日~同月25日 p.520

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説明すへし、, 化し遊惰に趨れりとそ、此人蚤くより執權の企望ありて、已ニ去年伊賀殿御再勤の折なと, も、慇懃を盡され黄金三十枚を贈られたれと、伊賀殿是を受すして返されたる事を、彼藩, たり、今の品川天龍寺の現住抔も、一つに在りて知る人なりと師質に語れり、先侯卒して嗣, の小川民藏なる者に聞けり、されと第五倫か千里の馬に等しく、伊賀殿も忘れられしか、, 子坐さゝりしかは、此人井伊家の統を繼れたり、猿樂・茶事等を好まれ、家中も自ら其風に, を惹出せしか、其由來する處は、伊賀殿の私曲に依りて釀成せられたり、雖然出于爾者反, 清凉寺至り、禪坊主共に打交りて、三時の勤行或は諸香式、又坐禪觀法の事をも修せられ, なるを〓り思ひしかとも、狼〓の性追々に暴威を逞ふし、慘毒を恣にし、遂ニ天下の動亂, 同氏の膽略感服仕候、議論も御同意こな、爲國家欣然、猶此上宜御賢策奉願上候、昨日は, 于爾とて、伊賀殿亦掃部殿の爲に擯斥せられて、〓死に及はれたり、其隱微は次々に發露, 此度登庸せられたるは專ら伊賀殿の姦謀に出たるなり、諸有司も始のほとは、其不學無識, 四月廿四日、今朝水野筑州ゟ呈書あり、如左、, 〓略、一昨日は參堂云々、且遠州へも初る面〓、彼是御禮難認盡奉存候、兼々承及居候處、, 四ツ谷調練延引ニ付、登城候處、御大老出來驚入申候、如何成性質にや、更ニ傳聞不仕事, 安政五年四月二十三日, 書翰, 弼ヲ推擧ス, リ慶永ヘノ, 松平忠固直, 水野忠徳ヨ, 安政五年四月二十三日, 五二〇

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  • 書翰
  • 弼ヲ推擧ス
  • リ慶永ヘノ
  • 松平忠固直
  • 水野忠徳ヨ

  • 安政五年四月二十三日

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  • 五二〇

注記 (23)

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